5月21日 品川さんの講演

品川正治氏講演録
2006年5月21日午後2時
小牧9条の会(ラピオ学び創造舘)
文責:茶谷寛信

 品川でございます。今日は五月晴れ、多くの方がこられた。良い雰囲気の中で思い切ったお
話をしたいと思います。自己紹介をしますがこれが私の基本的な立場です。

戦闘に参加し敗戦で不戦の誓い。新憲法9条2項に感激

1924年(大正13年)生まれです。1ヶ月で82歳になります。本当の意味の戦中派です。学生
半ばで戦地、戦闘に参加しました。自分も負傷しました。5月(1946年)に内地へ復員しまし
た。小国民ではなく、兵隊にとられる時は思想も訂正できていた時代。しかたがないと思わな
かった。どう生きどう死ぬかと考えた時も。京都3高「くれない燃ゆる」の。入学の勉強。高校の
勉強。命がけ。安心は無く。誰もそうだった。

 あと2年。2年半で兵隊に取られる。戦地で死ぬという切迫感。死ぬ時までに読んでおきたい
本は肌身離さず持ち歩いた。寮は12時消灯。そのあとローソクで読んだ。ロー勉といいまし
た。図書館は終夜開いていた。そういう中で苦行僧のよういそしんだ。国の戦争でどう生きる
か。どう死ぬか。何としてもと。カント、ヘーゲル。国家と国民の関係は。全体と個の関係はどう
か。同じ問題を追いかける。戦闘に参加して、自分も傷つき、友人の死を見送り、自分も最後
ではないかと経験した。

その中で、問題の立て方が間違っていたと思った。戦争は人間がやることで国が起こすという
考えは間違っていたと思った。戦争を許すのも人間。許さないのも人間。国というものだけに目
を向けていた。人間がやること。許さない努力ができるのも人間。私の戦後の生き方を規定し
た。戦争をする力。止めようとする力。お前はどちらか。自問自答した。それが私の戦後60年
の人生です。

 8月15日終戦。その時は戦地にいた。中国の戦争は特殊な型の戦争です。戦闘部隊は8月
15日ではなく11月に武装解除されました。戦争体験はみんが同じではない。当時は中国には
100万の陸軍がいました。90%は占領軍としていました。北京から広東まで。全部占領してい
ました。マッカサーが占領していた日本。それと日本の陸軍は同じです。中国では日本と随分
違っていました。

 上海などは同じですが。その他は内乱に巻き込まれました。蒋介石は日本軍を共産軍と戦わ
せました。(私は)特殊な戦争体験です。南方では強大な米軍とたたかい、ほとんどが飢えで死
にました。私達は軍隊のいじめはやられていない。完全武装で戦闘がいつはじまるかわからな
いときいじめは(上官も)恐ろしくて出来ない。そういう体験です。

 飢え死にのみじめな体験も無い。兵隊も将校も違う。前線では将校も違う。11月(1945年)
に武装解除。テイシュウ近郊の俘虜生活。1000人の前線部隊。その中で激しい論争が起こ
りました。当時、日本では終戦と呼んでいました。今でもそうですが。明らかに敗戦ではない
か。と激しい論争が起きた。神国は負けないから敗戦と言えない。「卑怯ではないか」の声。一
般の兵隊は(終戦に)同調しません。俺達は二度と戦争はしない。日本では終戦派が力をもっ
た。しかし、中国の戦闘部隊の主流は2度と中国に行かない。2度と戦争はしない。2度と友達
を死なせないと思った。

 翌年(1946年)5月復員。山口県へ。その時、日本国憲法草案が発表された。その文章で皆
泣いた。それまでは大本営発表。天皇の詔勅だけ。憲法の前文。これは私達に新鮮だった。9
条中でも2項はピッタリだった。2度と戦争はしない。憲法として宣言された。感激した。日本国
民の大多数の考え方と同じだった。毎日新聞のアンケートが残っている。80%以上が賛成で
あった。300万の将兵が死に、中国などで2000万人〜3000万人の命と広島、長崎で24万
人。それがつくった憲法9条2項です。

9条2項の旗はボロボロでも国民は竿を離さない

 日本の支配層はそういう決意をしていない。日本の国のねじれ現象は最大のものです。国民
は歓喜。政党は改憲。国民の力で改憲できず。解釈改憲に進みます。その中で自衛隊が生ま
れた。有事立法。特措法。海外派遣。9条2項の旗はボロボロになっています。国民は旗竿を
放そうとしない。「それを離せ」と言ってくるのが日本の国内情勢です。

 「正義の戦争を認めない」というのは世界では普遍的ではない。この考えは日本だけである。
他の国では受け入れられない。フランスには「平和主義」という言葉は使っていない。1935年
ミュンヘン協定でヒトラーと対話して侵攻を認めて、結局、ヒトラーを図に乗せた。レジスタン
ス、これがフランスを救った。その国では戦争をしないのは勇気が無いとされている。

 中国の政府の正当性は抗日救国戦争を徹底的にやり抜いたことである。(9条は)世界でたっ
た一つの思想。(戦争)全否定の国がある。中南米に一つある。それは小国 コスタリカであ
る。198の世界の国で日本のような9条2項の国は無い。旗はボロボロ。しかし、9条があるた
めに60年間、「一人の外国人も殺していない。」「世界第二位の経済も軍産複合体ではない」
この二つはまれな国のあり方として誇るにたる稀有のあり方である。これだけの海外活動をし
ながら全くそういう経験がない。世界史上はじめての経験。9条の役割は大きい。

国連憲章はダブルスタンダード。9条2項こそ世界平和の
根幹理念。日本国民はこれを消してはならない。

 世界史的に今後も普遍的ではないかというと全く違う。21世紀の課題は大国で日本のような
国が現われるならこれ以上のことはない。日本国憲法はどの国でも注目せざるを得ない。しか
し、軍隊があり、軍産複合体がある国がそうなるとは思えない。日本はなぜ出来たか。償いの
気持ちともう一つは軍隊が無かった。
私達も(復員時)9月以降は軍隊ではなかった。厚生省復員援護局が担当していた。軍が無か
ったのも大きな意味がある。

 国連軍という規定がある。国連憲章は1945年6月に確定している。8月6日と9日に2発の
原爆が落とされた。国連憲章は予想していなかった。もし、国連軍が核をもっている地域にいく
時、核武装をするのか。これは国際法学者にも難問である。国連常任理事国5カ国は核をもっ
ている。紛争の中心、これが持っている。

 パキスタン、インドももっている。カシミール紛争のある国である。それでは国連軍は核をもっ
ている地域にいく時は出て行けないのか。行くとき核武装をするのか。先制攻撃は許されるの
か。これは法学者も意見が言えない。ダブルスタンダードである。先進国が核攻撃を受けたと
き、世論はどうなるのか。9条2項は日本だけ。戦争をしないということである。そういう時、これ
が離せるか。離したらこの理念が世界からは消滅する。戦争の哲学を若い人に語って欲しい。
戦争体験者は少数になっている。体験を語るだけで、そういう形だけで若い人に語ることは老
人の繰言になる。
戦争については3点を申し上げたい。

1 戦争は価値観をひっくり返す。自由・人権を守る人がいても勝つためが価値観の最高位と
なる。人の命でさえ犠牲になる。それが価値観となる。価値観が転倒されることがもっとも恐ろ
しい。
2 戦争になれば総てが動員となる。戦力、労働力も経済も外交も学問もそうなる。医学、物理
学でも動員する。大量殺戮兵器が出来るのは当然。歴史学も動員され、日本は歴史学は成り
立たなくなった。神国史観が動員された。それが本流になった。
3 戦争になれば戦闘部門が中心になり、これに政府も行政もそれに総てを預ける。それが普
通になる。3権分立も無くなる。それらは日常のことに過ぎなくなる。
以上が戦争である。
アメリカと日本は価値観を共有出来ない。

  その意味で「絶対に戦争はしない」。9条2項はそういう事実を否定している。
いま、アメリカは戦争をしている。日本がアメリカをみる見方が甘い。アメリカは国連に制約さ
れないために国連が大嫌いなボルトンが国連大使である。世銀のオルフォビッツは戦争の張
本人である。

この価値観を日本はアメリカと共有している。小泉首相は中国とは価値観を共有しない。米国
と共有している。ピストルのある国と持たない国と価値観を共有している。マスコミは何故言わ
ないのか。「安保(日米安全保障条約)があるから」という。「価値観を共有している」というとい
ろいろなものが複雑になる。「共有している」と「共有していない」では物の考え方が全く違う

「アメリカの敵は日本の敵という」これほど酷いことはない。
価値観を共有するから新自由主義になる。
平和的な修正資本主義で格差社会化を防いできた。

 価値観を共有しているから新自由主義を入れてしまう。米国の価値観だから。日本は修正資
本主義で世界第二位の経済大国になった。奇跡的な経済成長。日本のやり方は修正資本主
義である。格差を少なくする政策がとられた。成長と共生を同時におこなった。官僚もがんばっ
た。資本家のための経済大国にならなかった。

 地方を切り捨てなかった。都市と地方を対立させずにきた。1970年〜1980年代前半に世
界第二位になった。中流階級を主流とする国になった。日本には幸運もあった。東西冷戦では
兵站基地。いろいろ輸出しても誰も文句は言わない。これらは成長と発展に欠かせなかった。
若い労働力がふんだんに経済界に送りこまれた。戦地からの兵隊。集団就職の二つがそろっ
て歴史的にも異常な成長をした。

閉塞の10年。国民は改革を待っていた。
これを逆手に取ったビジョンなき「小泉構造改革」

 冷戦が終わり二つの条件が無くなった。少子・高齢化が進んだ。基本的な条件がみんなひっく
り返った。80年代の終わりに日本をどうするのか。盛んに論争された。前川レポートなど。そ
の時期にバブルに。そして破裂。バブル後はもっと成長の条件をどうするのかに悩んだ。何と
か次の進路を見つけたいとした。閉塞の10年を迎えた。その時、ブッシュと小泉が現われた。

 10年の閉塞の中で国民を「改革」という言葉でビジョンは無くてもひき付けた。市場原理主
義・官から民へ。資本のあり方が変質している。生産のための資本ではなくなっている。儲けだ
けの資本になっている。儲けだけ。市場原理といってもスミスの時代の資本ではなくなってい
る。株価に一喜一憂して資本が成り立つことはあり得ない。

 従業員、取引先を考えて企業を経営するのが当たり前。集団就職の子も夜間(高校や大学)
に行かせるのが当たり前。(農村の)コミュニティーを企業が肩代わりした。(新自由主義は)こ
れを遅れたやり方といっている。

大企業に権力の自由を与えようとしている。
市場原理では福祉や環境に対応出来ない。

 戦争を起こすのも人間、防ぐもの人間。市場で福祉が出来るのか。環境に対応出来るのか。
市場(原理主義)は対応出来ない。これも人間がしている。官が規制していたものを規制緩和
で自由にする。大企業に権力の自由を与えよとしている。権力からの自由が本当の自由であ
る。誰のためか。どうしてみんなが自由になるのか。規制緩和して「大きな政府」から「小さな政
府」へという。

 一番「大きな政府」は軍事政権である。9条改変の人達は「大きな政府論」である。官から民
へ。修正資本主義の本尊は役人(行政=官僚)だとしている。資本家のためにならない修正資
本主義は役人だとしている。
改革は資本家のため。資本家は変質している。これを強引に進めるもとは「アメリカと日本は
価値観を共有している」ということにひっかかかってしまっている。グローバリズムは経済用語
ではない。アメリカの戦略用語である。

 1993年から年次改革要望書がアメリカから出されている。(要望書は)郵政、年金、医療、
健康保険も取り上げている。修正資本主義を変えようとしている。「誰のためか」このことに一
切、答えようとしていない。「改革のビジョンは」へも答えない。格差、不安、不信が一気にでて
きた。アメリカと価値観を共有するとは言えない。「先へ進む」としか言えない。「価値観を共有
しない」とすれば、別の考えになる。
どうしても申し上げたいことが一つある。

 9条の旗はボロボロ。しかし、国民は離さない。それを取り上げようとしている。誰のためかも
言わない。「進めよう」とだけしている。「日本は平和憲法をもっている」と言わない。

国民投票勝利は世界史的な事件となる。
日本も世界もすべてが変る。
私達の手で世界の21世紀の課題を達成しよう。

 国民投票が行われて「9条2項を守る」となれば世界史的な事件。日本の今までのすべての
政治条件は変る。アジアとも中国とも関係は変る。「日本が平和憲法でいく」としたら「ベルリン
の壁」どころではない。これはどんな外交官にも出来ない。今、国民の出番がきた。その出番
がきた。「戦争、人間そして憲法9条」とはみなさん方の出番。国民の出番となっている。日米
関係も外交では打開できない。

 元駐米大使がはっきりと言っている。「国民の出番か」と聞いたら彼は「そうですね」と言ってい
る。そういう問題として憲法をみてほしい。国民がノーと言えば世界史が書きかえられる。平和
憲法をもった国の在り方。これをはっきり追求することになる。これが世界の21世紀の課題で
ある。
アーミテージは9条2項は邪魔だと言っている。我々の出番。「ノー」と言ったとき世界は変る。
与えるインパクトははかり知れない。ご清聴に感謝します。

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