輝け憲法



品川さんの講演を聴いて

品川正治氏の講演を聴いて
小牧9条の会主催・06/5/21
                          小牧年金者組合・山本節子

  品川氏は経済同友会の終身幹事をしていられるとのご紹介がありました。会社の経営者の
方、資本家の方々と交際のある品川さんが、「9条を死守しましょう。憲法という旗はボロボロ
になるほど傷ついているが、まだ旗竿は残っている。憲法の『自由民主党案』を否決できるか
できないのか、いまこそ『国民の出番が目の前に回ってきた』のです。私たちが持っている1票
が、今こそ決定力を持つのです」。

これは講演された品川氏の、話の要点を私流の言葉で表現し直したものです。彼は三高時
代、全寮制であったので12時に消灯になる。その後はローソクを灯して勉強する人(ローベ
ン)、あるいは図書館は一晩中照明がついているので、図書館にこもる人がいたという。
  大正13年生まれの品川氏は大東亜戦争が敗北の局面にいたった時、三高の二年生で19
歳であった。次の問題をどうしても解かなければならない。問題とは「国家が起こした戦争の下
で、国民はどう生きどう死すべきか」というものでした。すでにカントもヘーゲルも学んでいた
が、この問いに対する答えを出すことが出来ないでいた。

考えるために時間に関係なく、読む本を持ち歩き、まるで苦行僧そっくりの姿でいた。2年と半
年で繰り上げ卒業させられ、友人達が戦争に参加し、死んでいくのを見送った。品川氏も「これ
で最後」と思うほどの深い傷を負い、前線から後方の病院に搬送された。この時、品川氏は
「問題の立て方が間違っていた」と気がついた。「戦争を起こすのも人間、やめさせるのも人間
である」。「国家とは何か」を考えなくてはならないと思った。

8月15日、日本の内地では天皇がポツダム宣言を受諾したと放送しており、同時に武装解除
が行われていた。しかし、品川氏のいた中国ではまだなされず、11月末まで武器を持ってい
た。中国では内戦が再発し、共産党軍(毛沢東)と国民党軍(蒋介石)が戦争をしており、国民
党軍は武装している日本軍を利用しようとしていた。こういう状況の中で日本の将兵達は、河
南省にある天津の俘虜収容所で一千人近い人達が生活させられることになった。俘虜達は
「これは明らかに敗戦である。終戦ではない」「神国日本の兵として敗戦した。神国という呼び
方は二度と出てこないであろう。だから神国の敗戦も二度とあるはずがない」「神国でなくとも
二度と戦うことがない国にしよう」と収容されながら決意した。

1946年5月私たち将兵は山口県の仙崎湾に帰国することができた。そして1946年2月にで
きあがっていた「日本国憲法」の原案を読み内容の立派さゆえに泣きました。  
GHQは第一生命ビルを接収し、その中のワンフロアーを「憲法制定会議室」として使った。さし
迫った事情は、ソ連が極東委員会の1有力メンバーとして加わりたい、とマッカーサーに言って
きたのである。「共産党勢力の思想を考慮に入れて日本国憲法を作るのはお断りだ」という意
味で、2月上旬までに憲法を作ることにし完成させたのである。松本烝治(国務大臣)や吉田茂
(後の総理)は、天皇は「神聖にして」を「至尊にして」というように、末葉を少し変えただけの改
正案を持ってきた。だからGHQが仕方なく原案を作ることになった。

仙崎港で新憲法を見たとき、憲法の前文と9条二項が特に神聖に見えた。毎日新聞によると
国民の80%が喜んでいる。300万人の日本の将兵が死に1500万人の外国人が日本兵の
加害によって殺され、24万人の広島、長崎の日本人と外国人俘虜が2発の原発で一瞬の間
に焼き殺された。これだけの尊い人命を失って「日本国憲法」は創られた。しかし、日本の支配
政党は一度も前文と9条を喜んだことはないのです。品川氏は外交官ばかりが集まっている会
議で言ったそうです。「あなた方(日本人で外国に駐在する仕事をもつ外交官達)達の力だけ
で、戦争放棄をした『日本国憲法』の内容を、戦争をする国の憲法に変えるのを押しとどめるこ
とが出来ますか。いま、日本の支配階級が改憲しようとしているが、国際関係に携わってい
る、あなた方の力で押しとどめることが出来ますか」と質問した。
彼らは「できません」と答えた。このように講演を続けて品川氏は、国民一人一人がしっかりす
ることで、いまのままの憲法を守ることができるのです。と締めくくった。

品川氏の講演について私が賛成できないところは、「戦争を起こすのも人間、やめさせるのも
人間である」と言うところです。人間社会には階級とか階層があって、自分の「労働力」という商
品を売って賃金を貰い、自分の生活と次世代を育てる営みをしている人達がいます。その一
方で、財閥と呼ばれるグループに属する人の生活は、私は直接には交際がないから解らない
が、野上弥生子の「迷路」(5卷)に描かれているように、小説中の皿井一族を三井一族に読み
替えれば自分の邸内に能舞台を持ち、個人の練習の他に客を呼び能を演じ、鑑賞会をするこ
ともあった。この文化や富はどうやって支えられているのでしょうか。

九州の三井三池炭坑の地底で、夫婦が一組になって上半身裸で汗を流し、蒸し暑く、また炭
塵が混ざっている坑内で、石炭をトロッコに積んで押し上げていく人達とともに、三井家の人達
が苦楽を共にしたことがあるとは思えません。「人間」と品川氏は言われるが、資本家、経営者
側の人達と労働者側の人達とでは、育ちも考え方も異なっていると思う。人間には「脳」がある
から、学習、学問、労働によって異なる階級の人の思想を理解することも可能でしょうが、それ
は非常に難しいことであると思います。「人間」をひとくくりにして「日本を戦争をやれる国にしよ
うとしている人」と「いまの平和憲法を守ろうとしている人」とを、まぜこぜにして、「同じ人間だ」
と私は思えない。

ただし、「戦争をやる国に変えていきたい人」は、人数にして半数に満たないと思う。しかし、思
うであってハッキリ半数以下なら「9条を守る会」はいりません。「いまの憲法は現実と乖離しす
ぎているから、現実に合わせるべきだ」と言っている人も現に相当多数いるのです。1955年
頃から「イランにある石油発掘を軍隊の力で守りたい」と言っている石油事業関係者は多くい
るし、声も高い。それでも「平和」を守りたい人は、「他国の資源は適正な価格で貿易によって
入手すべきである」と戦争を否定しているし、そのために9条2項を削ってはならないと主張し
ています。

他にも「軍法会議という特別裁判所をつくれ」とかいろいろあるが、最低限「前項の目的を達す
るため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という
第9条2項を、私は守っていきたいと思う。

                               以上


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