絶対的な愛情が必要なのは、当然の事ですが
これも溺愛的であってはなりません。
すなわち、あふれる愛情の中に厳格さがなくてはなりません。
この愛情による正しい訓練は、犬にとって不幸な強制や
束縛でなく、放縦な生活をもつ犬などには見られない
主人に対する強い愛情、訓練に対する喜び、飽きる事の無い
作業意欲など、無上の生きがいを生み出すものです。
逆に愛情不足と行きすぎた強制訓練は、犬を萎縮させ絶えず
人の顔色ばかりうかがう陰気な犬にしてしまいます。
このような状態で、多少の服従をしたからといっも
それは、真の訓練による服従とはいえません。
また、将来性のないものです。
犬は、人語を解かりません。
犬が人の言葉によって服従行動するのは、言葉の中の
アクセントと動作とを結び付けられ、同時に喜びを
与えられる事を習慣ずけられるからです。言葉は短く
調子のはっきりしたものでなくてはなりません。
この命令に使う言葉を訓練では声符と呼んでいます。
また、命令を与えるのには声符だけでなく
それぞれの、定められたゼスチュアを併用したほうが
犬にとっては、はるかに理解しやすいのです。
この命令に使うゼスチュアを視符と呼んでいます。
いつも違った声符や視符の使用は、犬を混乱させ
よい成果を望む事はできません。
普通の犬の行動は、本能の要求するところに経験が
プラスされて起きるのですが、その犬の行動を自然のままに
させた場合には、人の生活や目的に反したものが、しばしば
現れます。そこで飼い主や訓練者は、その行動に対して規制を
加えなければなりません。
すなわち、この行動はよく、この行動はいけないのだと、教え込む
わけです。それには、タイミングの合った賞罰によるほかありません。
行動から時間が経ってから、誉めたり、叱ったりしたのでは、
犬には、通じません。ことにいけないことは、悪い行動のあとを
後刻発見して、怒りのままに強く叱るなどのタイミングを失した
懲罰は、犬の性格を暗いものにし、自分の行動に自信の持てない
信頼の出来ない犬を作る事になります。必ず、その時、その場で
賞罰を与える事です。この正しい賞罰履行の習慣によって、
犬は、自分の行動の是非をしり、良い行動には喜びをもち
悪い行動にすぐに改めるようになるものです。
これが、正しい訓練を受けた犬の最も優れたところです。
古くから訓練に「叱っても、怒るな!」という訓語があります。
罰を与える場合には、必ず冷静な計算がなければならないという事です。
また、このほかに、犬は三段論法的な推理の力を持っていないので
人間的解釈から、それを犬に求めてはなりません。そのような事の
無いように、充分に気を付けて下さい。
訓練には、犬の良好なコンディションから生まれる所の、しっかりとした
気力、体力が必要です。しかしこの気力、体力にも限界があり、
ことに初歩のうちほど持久性に乏しいものです。能力の限界を超えた
訓練やトレーニングは、進歩どころか逆に退歩あるのみです。
必ずそれぞれの、その時の能力、意欲の限界内で飽きないうちに
留めなければいけません。それによって、初めて進歩があるのです。
もし、現在犬が10の力を持っている場合に、訓練は8程度に留めます。
すなわち、犬に2の力を残し、まだ訓練を欲しているうちに辞めるようにします。
このようにしているうちに、犬の能力は、次第に強まり、まもなく12に上昇します。
そこで今度は、訓練の程度を10に上げてよいのです。このように進めていくと
犬の能力は渋滞や退歩する事無く上昇の一途をたどり、ついには、90,100と
いうようにまで、進むものです。従って訓練は、第一にその犬の能力を知る事と
飽きさせないように勤めると同時に、八分で留め、さらに訓練の終わりは必ず
成功させて終わる。というように、しなければなりません。
これによって、犬に自信と次回の訓練への意欲を持たせる事が出来るのです。