モンシロチョウの手品

麻痺の手
真っ白な少女の両手
疲れを知らないかのように
人差し指から小指までの
四本の指を
MP関節から
曲げ、伸ばし
曲げ、伸ばし
曲げ、伸ばししている
その動作はまるで
白い蝶々のようで
いつまでも戯れを
止めようとはしなかった
「大丈夫ですかー?」と訊くと
「ダ・イ・ジ・ョ・ウ・ブ・デ・ス」と応じ
そして蝶も飛んだままでいる
これは脳性麻痺という障害なのだろうか?
これはベッドの上を
花壇に変える手品ではないのだろうか?
私はしばし仕事を忘れ
今年 三十になった私と同い年の
少女の手の行方を追っていた
見ると少女の両手には
淡いピンクのマニキュアが施してあった
思わず私は訊いていた
「これは何という花の花粉ですか?」


   点 滴

点滴のリズムが哀しかった
向かいのオヤジは
何度も咳をしていた
天井は高くて
ぼくは小さかった
いま こうしている間にも
どこかで誰かが死んでいるのだろう
窓ガラスに映っているテレビを見やれば
航空機の落ちたニュースをやっていた
救急車の赤がいやに鮮明だ
もう何も考えることができない
点滴がひとつひとつ落ちてくる
あれは命の涙だったろうか
いくら毛布でくるまっても
全然暖かくなくて
ぼくは足の裏を
互いに強くこすりつけた


   音の匂い

音には匂いがあるの
その人は小さな声で言った
花瓶の水を換える音
コーヒーカップを
お皿に載せる音
新聞紙が奏でる
カサカサという音
マッチに火を点ける音
大切な人が
玄関のドアを開けて
見送る人が
それを静かに閉める音
ね、音にはみんな匂いがあるの
だから香りがない音楽というのは駄目よね
その時
部屋には
たぶん
モーツアルトが流れていたと思う
音には匂いがあるの
だから香りがない音楽というのは駄目よね
そう同じことをくり返していた
その人の耳は
二年前から聞こえていない


   座頭さん

ほら、と言って座頭さんは
互いの親指の腹を突き合わせた
その親指たちは通常よりも反り返り
『人』という字を形どっていた
座頭さんはリハビリ室で三十年
指圧師として働いているベテランだ
この指をつくるのに五年かかってねぇ
最初の頃は指が痛くて痛くて
でも俺より痛い患者さんが来ていると思うと
痛いなんて言ってられないだろう?
座頭さんはずんぐりむっくりな体格で
指圧する時 妙に首が小刻みに揺れ
生まれつき弱視であることと
名字が佐藤であることも手伝って
『座頭さん』とみんなから慕われている
そんな座頭さん 普段は無口なのだが
酔うと少し饒舌になる
「俺、おばあちゃん子でさ。
よく、ばあちゃんの肩揉んでやったんだ。
一回十円で。
上手だねぇって、よく褒めてくれてねぇ。
それがこの業界に入るきっかけかなぁ。
俺のばあちゃん右目が見えなくてね。
俺は左目がほとんど見えないんだ。
だから隔世遺伝かなぁと口には出さず
思っていたんだけど、そうじゃなかったんだ。
俺の右目、こればあちゃんの目なんだ。
恥ずかしながら、その事を俺は
ばあちゃんが死んでから教えられてねぇ」
何故か座頭さんの左目だけから
涙が流れ出ていた
目はものを見るだけではなく
涙を流す場所でもあるのだ
四本の指を組み合わし
互いの親指の腹を突き合わせた形で
そんな話しをしてくれた座頭さん
親指たちは『人』という字を形づくり
テーブルにはどんな光りのいたずらだろう
『血』という影文字があらわれていた
私はそれには触れなかった
「親指って医療用語で母指っていいますもんねぇ」


   カチューシャ

やっとの思いの銀髪が
カチューシャに束ねられている
それはややもすると落ちる
しかし老婆には
それに気づくほどの気力がない
ぼくは拾い
不慣れな手つきで元の場所に戻す
そんなふうにぼくは
決して優しい男ではなかったはずだ
だけど病院(ここ)に来ると
ぼくを優しくさせる人々がたくさんいて
ぼくをたくさん戸惑わせる
もしかしたら それは優しさなどではなく
ただの憐れみではではないかと邪険になる
しかし彼らはそんな余裕を与える間もなく
猛々しいくらいに弱々しく
真っすぐに涎を垂らして
皺くちゃに笑っている
ぼくが彼らから学んだことは
恥ずかしいのは
人の助けを借りるということではなく
「ありがとう」と素直に言えなくなることだ
そして老人の人生を曝け出す
勇気を本気で欲しがった
カチューシャは再び
なんの抵抗もなく落ちた
その光景はまるで華奢な三日月が
頼りなく空から降ってくるようだった
ぼくはまた井上さんの頭につけた
やはり三日月は
空の人のところにあるのが栄える
井上さんは一所懸命に
車椅子に乗り移ろうとし
一所懸命に靴を履こうとし 
一所懸命に何もできなかった
役に立たない人などひとりもいない
ぼくたちはひとりでは
何もできない人々の手助けをすることで
報酬を得ていて 働くことができていて
ご飯も食べられて 生きている
ぼくたちはそのお礼を
耳のそばで大きな声で言うべきだと思う
「お大事にしてくださぁーい!」


作品集