失われた風景
〜時代を刻んだ建物たち〜

後藤家木曽川別荘 

1924(T13頃)/各務原市鵜沼宝積寺町 

  
在りし日の後藤別荘
(対岸の犬山市善光寺山公園から:撮影日 2000/4/2)


門の大きさで建物の規模が分かります



建物解体後、門柱だけが残っていました
               (撮影日 2006/7/30)
大正時代から「日本ライン」の名で知られた木曽川の景勝地に、後藤毛織の経営者後藤恕作が建てた後藤家木曽川別荘が数年前まで残っていました。当時毛織物で財を成した後藤は、木曽川沿いの各務原市東部の鵜沼地区と、岐阜市の金華山下の長良川沿いに別荘を建設、どちらの別荘も中国趣味を取り入れた和洋折衷様式の豪華な建物でしたが、昭和7年に後藤毛織倒産後は人手に渡りました。
 
 長良川別荘は長良ホテルの別館として使用されましたが、戦後関市に移築され、「関の孫六苑・阿房宮」として平成2年まで結婚式場として営業されました。現在孫六苑は廃業し更地になっていますが、阿房宮の建物は廃墟化し、まだ現存しているらしいのですが定かではありません。(廃墟・心霊スポットとしてマニアには有名)  



結婚式場として一部が移築復元された後藤別荘
木曽川別荘も戦後は米軍に接収された後、都築紡績の管理となりましたが、数年前に取り壊されました。
 現在建物の一部は、同じ宝積寺町の川上別荘の隣に移築復元され、サクラヒルズ川上別荘の名でブライダル施設の一部として再活用されています。 
 
庭のゾウも一緒に引っ越しました     (撮影日 2006/7/30)

城山荘 

大正末〜昭和初頃/各務原市鵜沼南町城山 (撮影日 2000/4/2)



城山荘の下を通るライン下りの船(左手の橋は犬山橋


廃墟と化した取り壊し前の城山荘
エレベーター用の塔が見えます


かつて地元の人が長年慣れ親しんだ犬山橋の風景
手前の黒い橋は完成したばかりのツインブリッジ
犬山橋の架設に尽力した三輪市太郎によって、犬山橋北詰の小高い城山に別荘として建てられました。その後犬山の彩雲閣の別館として料理旅館に転用され、皇室も宿泊される由緒ある旅館として昭和40年代頃まで営業されていました。名鉄電車に乗り犬山橋から見る城山荘の姿は子ども心にも印象的で、岸壁に川に向かって開けられたトンネルのテラスに人の姿を見かけるだけでわくわくしたものです。記憶が定かではありませんが、その後起きた火災をきっかけに旅館は廃業され、都築紡績の所有になってからは荒れるにまかせ長年廃墟と化していました。地元ではお決まりの幽霊話がささやかれ、すぐ上流にある後藤別荘と共に知る人ぞ知る廃墟としてマニア垂涎?のスポットでしたが、都築紡績の経営不振のため後藤別荘とともに処分され、数年前に姿を消しました。



日本ライン図絵(部分)昭和15年  吉田初三郎
「ツインブリッジ犬山橋完成記念特別展 吉田初三郎の世界」パンフレットより
大正〜戦後にかけて活躍した画家吉田初三郎は、各地の都市や名所、鉄道沿線を独自のパノラマ手法で描いた鳥瞰図が有名です。初三郎は大正12年、後援者の名鉄の社長の好意で犬山に本拠を移し、当時「日本ライン」として売り出し中だった犬山周辺を題材にした作品を次々に発表し、犬山観光のPRに大きく貢献しました。初三郎の作品は江戸時代からある鳥瞰図(景色を鳥の目で見たように上空からの視点で描く技法)を独自に発展させた細かい描写と多彩な色使いが特徴のパノラマ画で、一枚の絵に驚くほどの情報を描き出し、航空写真とは違った見る者をひきつける不思議な魅力を持っています。
 昭和15年に発表された日本ライン図絵には当時の犬山の様子が手に取るように精緻に描かれています。犬山城の下を流れる木曽川には帆船が行きかい、現存する犬山橋のほか洋館の犬山ホテルや和風の彩雲閣、犬山遊園地、城山荘、後藤別荘など、今はなき当時の建物の姿が鮮明に描かれています。