空想歴史文庫

我が天命の地


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其の十六


 李光戚の策により密かに契闖両陣営との密約を結ぶことに成功していた陶軍は、契闖両陣営が戦端を開くのに呼応するように北征の兵を起こした。
 対峙する両陣営は、援軍と称して現れた陶軍の姿を見て、各々が勝利を確信して油断した。陶軍がその機を逃さず一挙に総攻撃へと転じると、驚愕した両陣営はたちまち算を乱し、戦意を喪失して一目散に逃げ出したのである。
 這々の体で退却した両陣営であったが、その行く先では陶軍が待ちかまえていた。海路を用いて予め陽原の北側へ渡っていた別働隊である。突如として現れた大軍を前にして、既に戦意を失っていた契闖両軍は戦う素振りすら見せず、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、一方的に蹴散らされた。この戦いで陶軍は、契の耶律宗羽(やりつ・そうう)、闖の完顔尚福(かんがん・しょうふく)の両総大将を討ち取るという、多大なる戦果を挙げたのであった。
 北方の地を異民族に奪われて数カ月、長年にわたって陶軍を支えた呂文忠や黄世飛が世を去って間もないというのに、陶朝は程士恩の手によってその全てを取り戻したのであった。この勝利により、程士恩の名は一躍天下に轟いた。徐昌は大勝利の報せに沸き上がり、新たに誕生した英雄をもてはやしていた。特に、趙定国は大いに喜び、結果的に見送られることとなったものの、程士恩に公位を授けることが検討されたほどであった。
 その報告を受けた郭継徳は、陶朝の底力に改めて驚嘆した。
「契闖の者どもが仲違いしていたとはいえ、これほど容易く敗れるとは思いもしなかったぞ。呂文忠の後任に据えられた程士恩とは、一体何者であるか」
「かつて鄭侃が陶軍に人物ありとして名を挙げた二将を覚えておられましょうか」
 腹心の杜柔興が主君に問い返した。
「確か、一人は王真恢であったな。もう一人は名を覚えておらぬが、其奴が程士恩と申すのか」
「御意。王真恢の陰に隠れて表立った戦功は殆ど見られませぬが、王真恢とともに鄭侃が手こずった相手でもあります。先の徐昌防衛の折りには戦功第一であったと専らの噂でござります。此度の遠征では、征西、征北両軍の混成であったにもかかわらず、目立った混乱も見られず整然と統率されていた由にござります。短期間で編成された軍勢を見事にまとめた上に、大規模な作戦を成功させた手腕は侮り難きものがありましょう。鄭侃が一目置いていたとはいえ、これほどの将才を秘めた者だったとは、なかなか興味深いものでござります」
 杜柔興は興奮気味に答えた。
「如何に有能な人材といえども、功少なき者を起用するは難しかろう。それを斯様にも大胆に抜擢してみせようとは、趙定国も青二才などと侮るわけには参らぬ」
 趙定国は歴代の陶皇帝の中では異色の人物であった。陶朝の政治体制が文治によって成り立っており、歴代皇帝はその体制を強化すべく軍部の権限を縮小して皇帝に集権させることでその地位を保ってきた。趙定国はそれらを覆す軍政改革を打ち出し、軍部強化を図った。先頃の戦を見る限りでは、改革が功を奏したといえる。趙定国が即位し、呂文忠らが世を去ることによって、陶朝の内部に新たな流れが生まれたのだ。もはや陶朝は、かつての脆弱な国家ではなくなっているように思われた。
「しかしながら、新たな体制は確固たる基盤が造り上げられたわけではありませぬ。敵に足場を固める暇を与えず、体制を揺さぶる手立てを講じましょう」

 年が明けて、新和四年の新春、急使よりもたらされた報告に、宮中は瞬く間に騒然となった。
「おのれ、奸賊めが!」
 報告を耳にして茫然とした後、はっと我に返った趙定国が吐き捨てるようにして罵った。
 賈王郭継徳が、年が改まるとともに国を大賈と号し、自らを大賈皇帝と称したのである。これと同時に、郭継徳は陶に倣った政治体制に独自の体制を組み込んで整備するとともに、かねてより作り上げていた大賈文字という独自の文字を正式に国字として制定した。さらには、年号をそれまで使用していた陶の新和から独自の開慶(かいけい)に改め、独立の意思を明確に示そうとしたのであった。
 これに憤慨したのは趙定国のみに留まるものではなかった。特に宰相朱允群は、激しい怒りの感情を隠そうともしなかった。
「陛下、斯様な蛮行を見過ごしてはなりませぬ。身分卑しき辺境蛮族如きが、身の程もわきまえず天子の位に上がろうとは、言語道断にござります。即刻、この不届きな事態を正さねば、天下に陛下の威光を示すことなどできませぬ。直ちに程都督らに賈の奸賊めを討てとお命じくださりませ!」
 朱允群の意向に、官僚の半数以上もの者たちがが賛同の意を示した。
「よくぞ申した、程士恩に伝えよ。直ちに兵馬を整え、郭継徳の首を討て、と!」
 趙定国は激昂し、賈軍討伐の命を下した。その決断に、宮中の官僚たちの士気も高まり、一気に開戦の気運が高まった。
「お待ちくださりませ、陛下」
 ところが、それに水を差すように、宰相劉嘉が再考を促したのである。
「有無を言わせず武によって敵を屈するは、有徳の士のなさることではござりませぬ。まずは、使者を送って賈の行いを正し、その対応を見てから兵を起こしても、決して遅くはありませぬ。どうかここは、御心を落ち着かせ、穏便に事を進めることを伏して願い奉ります」
 劉嘉は、殺気立った宮中にあって、敢えて感情を抑えた冷淡な口調で趙定国に進言した。周囲とのあまりにもの格差に、さすがの趙定国も気勢を削がれ、いきり立つ心を和らげて冷静さを取り戻した。
「……うむ、劉宰相の言にも一理ある。朕も、危うく短慮を起こすところであった。劉宰相の申すように、まずは賈に使者を立て、その返答によって次なる策を練ることとする。左様、手配いたすのだ」
 こうして陶朝は、直ちに賈への使節団を派遣した。郭継徳の帝位僭称を問い質す親書を携えた外交使節である。
 この使節は、盛大なもてなしによって賈の宮廷へと迎え入れられた。友好的に歓迎する郭継徳の態度に、正使鍾延(しょう・えん)は気をよくして交渉にあたった。ところが郭継徳は、趙定国からの親書を受け取って目を通すや否や、その態度を突如一変させて鍾延の目の前でそれを破り捨てて見せたのである。その暴挙に愕然とする鍾延を後目に、郭継徳はその顔に笑みをたたえながら返答した。
「即位の儀を祝いに参ったと思って歓待すれば、なんと朕を非難する親書などを携えておったとは。まったく、あてがはずれたとしか申しようがない。朕が帝位に就こうと、それを陶の人間如きに、一々口を挟まれるいわれなどない」
「なんと無礼な物言いか! とても天子を名乗る者の言動とは思えぬ。いやしくも天子の名を騙るつもりであらば、それ相応の徳を示すが道理であろう。それができぬとは、さすがは身分卑しき蛮族の所業。我らが帝の足元にも及ばぬわ!」
 郭継徳は、鍾延を冷ややかな目で一瞥する。
「此奴の耳と鼻を削ぎ、この場から追い出してやれ」
 鍾延の許に衛兵たちが駆け寄り、取り押さえた。鍾延は衛兵から逃れようと暴れるが、屈強な兵士たちの手を振り払うことはできなかった。
「なんと、外交の礼儀も知らぬ野蛮人め! 使者を辱めるは、我らが天子様を辱めるに等しい所業である。斯様な無礼がまかり通ると思うか!」
「この大賈において、天子とは朕のことである。其方ら陶の天子など、我が国には関係ござらぬ。貴公は朕が陶の帝を侮辱しておると申すが、陶の帝の振る舞いが朕を侮辱するものだとは思わぬか。朕は初め、貴国の使者を歓迎し、もてなしてやったのである。ところが、その礼に反して朕を侮辱したは、貴公らではないか。礼の是非を問うのであれば、まずは貴公ら自身が己の非礼を改めるがよかろう。改めて謝罪の使者を立てるというのであれば、朕とてそれを拒むつもりはない」
「言うたな、蛮族! 貴様のように天意に背く不届きな輩には、必ずや天罰が下り、その身を滅ぼすであろう。覚悟しておくがよい!」
「貴公ら陶朝如きの下す天罰など、恐れるほどのものではないわ。国へ帰ったら、貴公の主に申すのだ。陶の下す天罰とやらを楽しみにしておる、とな」
 鍾延は、両耳と鼻を削ぎ落とされ、顔面を血塗れにしたまま、郭継徳からの宣戦布告ともいえる親書を携え、徐昌へと送り返されていった。
 見るも無惨な姿で帰還した鍾延を目の当たりにした趙定国は、郭継徳からの親書の中身を改めることなく、即刻破り捨てていた。
「劉宰相、よもや再び朕を止めるなどということはあるまいな」
 呟くように、趙定国は静かに言葉を発していた。だが、それが怒りを押し殺したものであることは容易に窺い知ることができた。
「もはや、お止めはいたしませぬ」
 今度ばかりは、穏健派の劉嘉も覚悟を決めざるを得なかった。
「程士恩に出陣の旨を伝えるのだ。これは、勅命である!」
 趙定国の勅命により、陶朝は本格的に賈の討伐に乗り出した。
 陶はまず、西域とのありとあらゆる国交を断つことを全国各地へ通達し、経済封鎖を断行した。文化や経済の中心地たる中原を支配する陶との公貿易のみならず、私貿易に至るまで一切の交流が断たれるということは、中原からもたらされる膨大な物資の流入に加え、西域からの物資を中原へ流して得られる利益が全てなくなることを意味する。賈にとって中原との公私にわたる貿易でもたらされる富は、国家の経済を支える柱の一つであった。この事態が長期的に続くようなことになれば、それは国家の死活問題にまで発展し得るものだったのである。
 もっとも、西域との国交を断つことは、陶朝にとっても大きな損失となることであった。特に昨今は、度重なる周辺諸国との衝突による軍事費の増大が、財政を圧迫する大きな要因となっていたのである。この財政状況において西域との交易は貴重な財源のひとつだったのだ。これまで幾度となく賈との抗争が繰り広げられていながらも、ただの一度も国交を完全に断つことがなかったのは、その財源を捨ててまで賈の動向を抑え込むことに利を見出すことができなかったからに他ならない。こうした背景からも、趙定国がこの賈討伐にどれほどの覚悟をもって臨んでいるか、容易に窺い知ることができるのであった。

 経済封鎖の開始とともに、程士恩は十五万の大軍を率いて徐昌を発った。徐昌の民衆はその勇壮な姿に喝采を送った。徐昌の危機を救い、そして瞬く間に失地回復を成し遂げた英雄程士恩が並々ならぬ活躍をすることを期待していたのであった。
 士恩は、賈討伐の最前線の拠点を鄭州に定めた。この出兵に付き従うのは、副将として王真恢、軍師に李光戚、以下韓封、周進、郭充栄、潘智臣ら歴戦の勇士たちである。北方の契闖両国の備えには陸起を総大将に据えて、孟士義、于竣、徐文達らを配置し、十万の兵をもってその防衛に当たらせて後顧の憂いを断っていた。
 徐昌を発って半月が過ぎた頃、賈討伐軍は洞谷から鄭州へと向かう街道を行軍していた。
 真恢と轡を並べて進んでいた士恩は、見覚えのある風景を目にして不意に胸の内に懐かしさがこみ上げてくるのを感じていた。あの頃も同じように、真恢とともに洞谷から鄭州への道のりを歩んでいたのだ。
 今にして振り返れば、ここから全てが始まったのだと思えてくる。
 王真恢と出会い、隊商の護衛としてこの道を西へ進んだ。それは士恩にとって、まさに人生の岐路とでもいうべきものであった。逃げるか留まるか、士恩はその道中で、死の恐怖を目の前にしてその選択を迫られた。
 逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出すことは可能であった。逃げ出していれば、おそらく、確実に生き長らえることができたはずだ。しかし、士恩はその場に踏みとどまる決断を下した。生死の行方は定まっていないが、死ぬ確率の方が圧倒的に高いと思われる状況だったにもかかわらずだ。そして士恩は、生を掴み取ったのである。
 生を勝ち得た士恩は、真恢とともにさらに西を目指した。行く先は、征西軍の拠点都市鄂州。士恩はそこで、真恢とともに呂文忠に見出され、征西軍の将としての道を歩き出すこととなった。それからの士恩は武将として必死に生き続け、ふと気が付けば八年の歳月が経ち、遂には大都督にまで上り詰めていた。八年前はわずか数十人の護衛の一人として歩んだこの道を、今では陶軍を率いる大将として歩いているのである。同じようにこの道を北へ目指した八年前の己に、果たしてこのような未来が切り開かれることを予見できたであろうか。
 それは、ほんの些細な巡り合わせにすぎなかった。王真恢と出会うことも、呂文忠に見出されることも、そして士恩が武将としての生涯を歩むことも。今ある士恩の現実は、そうした小さな偶然が積み重なって築き上げられた結果であった。だがそれも、士恩がこの道をたどり、背を見せて逃げ出すことなく、前に向かって一歩足を踏み出す決断を下したからこそのものなのだ。あの瞬間、士恩が逃げ出すことを選択していたならば、征西軍の将として戦場を駆け巡ることも、英雄としての名声を得ることも、まして一軍を率いる大将にまで上り詰めることもあり得なかったであろう。この地こそ、紛れもなく士恩にとっての原点であった。
「真恢よ、懐かしいとは思わぬか」
 士恩は傍らの真恢に声をかけた。
「――なんだ、唐突に」
「其方と出会って行動をともにしたのも、この道のりが最初であったのだと思い出したのだ」
「七年……、いや、八年ぶりになるのか」
「ああ、八年だ。あの頃は、何もかもが必死であった。先のことなど、何も考えていなかったような気がする。それがまさか、こうして再びこの道を真恢とともに歩むこととなろうとはな。妙な気分だ」
「何を感傷に浸っておるのだ」
 真恢はそう言いながらも、懐かしそうに目を細めていた。
「この道をたどると、また、ここから何かが始まるという気になるのだ」
「八年前のように……か」
「ああ、あの頃は己の身一つだったが――」
「今では陶軍を統べる大将だ」
 真恢が、ゆっくり頷いて見せた。
「そうだ。今度は一軍の将として、ここから新たに一旗揚げるのだ」
「将として――か。よかろう、俺もともに参ろう。だが、ただ名を挙げるだけではおもしろうない。どうせならば、歴史に俺たちの名を永遠に刻み込んでやろうではないか」
 真恢の豪快な笑い声が、天高くこだました。


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