征北軍壊滅――。
早馬によってもたらされた凶報に、征西軍の諸将は言葉を失った。詳細は続々と到着する急使により明らかにされていった。
報告によれば、およそ半月ほど前、侵攻してきた闖軍の迎撃に征北軍が向かっている隙を突いて、契軍が征北軍の背後に回って弁州(べんしゅう)を奪い取ったのだという。契軍はその余勢を駆って軍を返し、闖軍と連合して征北軍を散々に打ち破ったということであった。
「間違いではあるまいな!」
韓封が使者を怒鳴りつけた。使者は恐縮して身を縮めたが、他の使者からの報告が事実であることを裏付けていた。征北軍は、安撫使の黄世飛将軍以下、主立った将軍の多くが戦死し、生き残った者たちは兵をまとめて退いたが、契闖連合軍の執拗な追撃にあって、その生死は殆ど不明だというのだ。
「弁州は、契、闖両国に対して睨みを利かせる要地にて、この地を失えば、中原北部は奪われたも同然です。如何に征北軍といえども、支えきることはかないますまい。しかし――」
楊昭は眉間にしわを寄せて唸った。征北軍が敗れた状況が解せなかった。
中原北部は、陶、契、闖による三つ巴によって秩序が保たれていた。三国は互いに敵対し合い、特に契闖両国の対立は根深く、何代にもわたって血みどろの争いを繰り返していた。契、闖のいずれかが陶に侵攻した場合、他方がその留守を突いて本拠地を襲撃することはあっても、陶に兵を向けることはただの一度もなかった。契と闖にとっては、陶への領土的野心よりも、両国の因縁の方が重要だったのである。
「いずれにしても、征北軍が壊滅し、弁州が抜かれたとあっては、徐昌まで両軍の侵攻を遮るものはありませぬ。あるいは、既に徐昌を包囲していることも考えられます」
「猶予はない。救援の兵を出そう」
李光戚に促されて呂文忠が決断した。諸将が同意するように頷き合っている中、楊昭が異論を唱えた。
「我らは今、この地を離れることなどできませぬ。今は大人しいとはいえ、しばらくすれば、必ずや賈の軍勢が参るでありましょう。これまで賈の軍勢を退けてこれたは、我ら全軍が一丸となって事に臨んだからに他なりませぬ。今ここで、たとえわずかといえでも、むやみに兵を割くは得策とは申せませぬ。都には三十万の禁軍が控えており、近隣には州兵も多数存在しております。徐昌の城壁は堅牢で天下に聞こえ、難攻不落を誇っております。城攻めを不得手とする蛮族のこと、たとえ徐昌の城を包囲しても、堅固な城壁を目の当たりにして為す術なく立ち尽くすことでありましょう。攻めあぐねていれば、やがて冬が参ります。さすれば蛮族も徐昌の攻略を諦めて、必ずや本国へと帰って行くに相違ござりませぬ。徐昌の守りであれば、我らが助けに行かずとも案ずるには及びませぬ。むしろ、我らがこの事態に動揺を示し、浮き足立って動き回ることこそが危険にござります。今動いては、それに乗じた賈軍に鄂州を奪われてしまいますぞ!」
「楊副使の申されることには一理あります。されど、近年は南蛮諸国にも反乱が頻発し、各地の州兵もその鎮圧に駆り出されて疲弊しております。州兵をあてにして静観するは、いささか危険ではないかと思われます」
「賈軍の動向を警戒すべしと申したは、其方ではないか。この状況を奴らが見過ごすとは思えぬ」
李光戚は一瞬、言葉に詰まった。
郭継徳即位以降、賈軍との交戦回数は飛躍的に増えていたが、策を好む郭継徳にしては戦術が慎重で正攻法に過ぎていた。その動向に不自然さを感じ、他の動きがないか常に気を配りながら防衛に当たるも、結局のところ、賈軍は一度たりとも正攻法を崩すことはなかった。それが今年に入ってからというもの、絶えず侵攻を繰り返していた賈軍は突如として鳴りを潜め、沈黙を守っている。不確かな情報ではあるが、郭継徳が長く病に臥せっているとの噂も漏れ伝わっており、それ故の自重とみることも可能だ。しかし、郭継徳ほどの者が迂闊にこのように重大な情報を外部へ漏らすとは考え難く、その噂は油断を誘うための謀略と捉えるべきではなかろうか。であるならば、賈軍の本格的な侵攻は間近ということになる。そう推測した李光戚は、諸将に対して警戒を怠らぬよう注意を喚起したばかりであった。
「――無論、賈軍への警戒を怠るわけには参りませぬが、朝廷あってこその我ら。朝廷を見捨てるようなことがあってはなりませぬ」
「誰が見捨てるなどと申したか! 話をすり替えるでない!」
楊昭が李光戚に掴みかからんばかりの勢いで激昂した。于竣らが慌てて二人の間に入り、引き離す。
「閣下、そもそも都は遙か彼方の地にござります。強行すれば兵は疲弊し、脱落する者も多く現れましょう。斯様な状態で援軍に駆け付けたところで、勝ちに乗じた蛮族どもに太刀打ちできるとは思えませぬ。しかも、賈軍は虎視眈々と侵攻の機会を窺っております。我らが動くは、まさに奴らの思う壺。徐昌は難攻不落の堅城にござります。今はそれを信じ、慎重に行動すべき時です」
楊昭は呂文忠に向き直り、再考を求めた。しかし、呂文忠は頭を振って答えた。
「確かに、其方の申すとおり、徐昌の城壁は堅牢であろう。外からいくら攻め立てようとも、微塵たりとも揺らぐことはあるまい。だが、如何に堅固な城砦でも、内が脆ければ容易に崩れ去るものだ。例の一件を忘れたわけではあるまい」
呂文忠は、趙定国即位の際に官僚が呂文忠らの更迭を企てたことを挙げた。官僚は軍閥化を極端に恐れる余り、国家の防衛を度外視した政策に力を入れる嫌いがあった。その多くは、戦火から遠く離れた安全な地にて前線を管理しようと考えるものであり、現実の戦を認識しているわけではなかった。そのような考えを持つ輩が生命の危険に晒されたとき、その恐怖に耐え得ることが果たしてできるであろうか。
楊昭は唇をきつく噛み締めた。それを指摘されては、反論することができないのだ。
「援軍は、軽装の騎兵のみ一万。昼夜を問わず駆け続け、同時に近隣の兵を召集して後詰めとする。上手くいけば、敵に我が軍の存在を悟られる前に、その不意を突いて急襲することもできよう」
呂文忠は諸将を見回した。楊昭を含め諸将の表情が既に覚悟を定めたものとなっている。
「韓封、王真恢、于竣、潘智臣(はん・ちしん)、程士恩、其方らが中心となって各隊を指揮せよ。総指揮は、このわしが執る」
「お待ちください!」
楊昭が人選に異を唱えた。呂文忠は歩兵の統率に関しては優れていたが、騎兵に関しては楊昭が長けているのだ。
「楊昭よ、其方は賈軍を気にかけておろう。斯様な心持ちで援軍に赴いては、事をし損じる畏れがある。なれば、其方がこの地に残り、全軍を指揮して賈軍に備えるが上策というもの。わしの気がかりは徐昌の情勢故、都合がよかろう」
「……御意にござります」
「わしも、背を其方が守っておると思えばこそ、なんの憂いもなく徐昌へ向かうことができるのだ」
呂文忠は楊昭の肩に手を置いた。
「よいか、皆の者。事は一刻を争う故、急ぎ出陣の準備に取りかかるのだ。日が落ちる前に鄂州を発てるようにいたせ!」
号令とともに征西軍の陣営が慌ただしく動き始めた。
その最中、士恩は、このような形で帰郷することに戸惑いを覚えていた。一度は捨てる覚悟を決めた故郷である。しかし、あまりに唐突すぎる事態に、不覚にも心が揺れ動いてしまったのだ。士恩は、その心境の変化に愕然としながら、平静を装おうと努めた。
呂文忠率いる救援軍が鄂州を出立した翌未明、城内各所で突如として火の手が上がった。城外に対して警戒を強めていた守備隊は、不意の出火に素早く対応できる人員を配置しておらず、取り急ぎ手近な兵を集めて消火へ当たらせた。その報せを伝えられた楊昭が、驚愕した面持ちで舌打ちした。
「抜かった、それは陽動だ。消火は別の者に任せて持ち場へ戻れと伝えよ。すぐにでも賈軍が襲撃しに参るぞ!」
楊昭がそう命じた矢先、別の伝令が血相を変えて現れ、鄂州北側より出現した賈軍の襲来を告げた。楊昭は己の迂闊さを呪った。
油断していたつもりはなかった。契闖連合軍の侵攻に乗じて賈軍が仕掛けてくることは想定しており、夜間でも十分な守備兵を配置して賈軍の襲撃に対する警戒を怠らないように指示をしていたくらいだ。しかし、六年余り続いた賈軍の侵攻から、楊昭は無意識のうちに城外から攻め寄せてくるものと決め付けていた。それが結果的に、城内の警備を手薄にし、城内の変事への対処に手間取ることへと繋がっていた。
「申し訳ありませぬ。城内で騒ぎを起こすことは、予測できないことではありませんでした。これは私の罪です」
傍らの李光戚が頭を下げた。
「いや、これは皆が見落としたこと。誰の罪でもない。それより、敵の侵入を食い止め、追い返すことが先決だ」
楊昭は伝令兵に寄せ手が何者であるかを確認した。
「鄭の旗が掲げられておりました。おそらく、鄭侃」
楊昭の表情が険しくなった。城内で火災の騒動を抱えたまま現在の守備兵で防衛するには厳しい相手であった。
「相手は鄭侃だ。兵はいくらあっても足りぬ。直ちに動ける者を最優先で向かわせろ。後詰めは俺がやる。李軍師には火災の処理をお願いしたい。民の避難を優先し、延焼を防いでくれ」
李光戚らが退出する姿を見送りながら、楊昭は不意に違和感を覚えて小首を傾げた。賈軍の最前線である寧州は、鄂州まで四、五日の距離にある。ところが、征西軍が征北軍壊滅の報せを伝えられてから二日と経っていないにもかかわらず、既に賈軍が姿を現していた。賈軍がこの機を狙って動いていたのであれば、征西軍よりも早く契闖軍の侵攻を察知していたことになるはずだった。それが何を意味するのか、楊昭は一抹の不安を覚えながらも、増援の手配に逐われて十分に考えをまとめることができないままでいた。
火災は未だ鎮火していないものの、延焼が抑えられて収束に向かいつつあった。一方、北門での攻防は拮抗した状況が続いているようである。楊昭は不安を振り払うように召集した増援の兵らに号令を発し、北門へ向けて駆け出した。
そこへ、負傷した伝令兵が駆け込んできた。
「申し上げます。西門が破られ、賈軍が侵入して参りました!」
「西門だと? 北門の間違いではないのか!」
「西門です。現在、陳隆(ちん・りゅう)隊が交戦中、増援を求めております!」
陳隆は西側の警戒に当たらせていた将である。ならば誤報ということは考えられない。楊昭の脳裏に、最悪の事態が浮かんでくる。
「馬栄と張秀平(ちょう・しゅうへい)は各々兵を率いて陳隆に助勢せよ」
二将が拝命して直ちに出立すると、それと入れ違うように新たな伝令兵が続報をもたらした。
「陳隆将軍、討ち死に。敵将は、鄭侃!」
楊昭は驚かなかった。西門が破られた時点で、その予感があったからだ。火災のみならず、北側から出現した賈軍も、このための陽動だったのであろう。そうであるならば、北門の鄭侃隊は偽装であり、本物の鄭侃が西から現れるのは当然のことだった。
その時、青ざめた面持ちの李光戚が、持ち場を離れて駆け付けた。状況は既に把握しているようである。
「今、其方を呼び戻そうと考えていたところだ」
「全軍を西門へ差し向け、侵入した敵を押し出します!」
「それには及ばぬ。侵入を許した以上、ここに留まって戦うは不利。しかし、侵入は許したが、おそらく、この城は未だ包囲されてはおるまい。なれば、其方は一隊を率いて東門を開放し、民を退避させるのだ。今なら逃れることができよう」
「副使殿は如何される」
「城内には兵が多く残っておる。それらをまとめて、順次撤退させねばなるまい。しんがりは俺が務める」
言いながら楊昭は穏やかな笑みを見せた。
「――ご武運を」
李光戚は一言だけを述べると、深々と一礼して立ち去った。
楊昭はその後ろ姿を見送ることなく、ただ天を仰いだ。
鄂州陥落の翌日には、密かに前線に赴いていた郭継徳が、万一に備えた後詰めの兵を伴って入城していた。城内は激しい戦闘により至る所が焼け落ちており、現在も各所で火が燻っていた。城内には、両軍の死体のみならず、鄂州の住民の死体も、未だ片付けられないまま多数転がっている。鄂州攻防戦の激しさを物語っていた。
本来、賈が単独で陶に対抗するには、国力が余りにもかけ離れていた。それは、賈のみに留まらず、契、闖の他、南蛮諸国などの周辺勢力も同様である。局地戦で勝利を収めることは容易であっても、中原の奥深くまで攻め入るだけの戦力は持ち合わせていないのだ。
郭継徳即位後、杜柔興はそれら周辺勢力間を奔走し、契闖両国に対して賈が仲介することによって陶を共通の敵国とする三国同盟を成立させる一方、南蛮諸国を煽動して反乱を誘発させた。これにより陶は、一時的に隣接するほぼ全ての勢力と戦闘状態に突入した。中原を制する大国といえども、全方位で敵国と相対することとなれば、戦力が分散し物資も不足するなど、深刻な状況に陥るのは必然であった。
杜柔興は、この動きを陶に悟らせぬために、鄭侃に陽動作戦の指揮をさせた。この陽動作戦では、陶の注意を引き付けることが第一であったが、代替わりによる内政の整備のために時を稼いでいずれ中原へ侵攻することを見越して、新兵を投入して実戦での訓練を行うと同時に、この段階での余計な損害を出さないために慎重な立ち回りが要求された。無論、陽動といえども、征西軍に付け入る隙があれば、躊躇うことなく鄂州を攻略ように備えを怠らなかった。
陽動を指揮する鄭侃としては、練度が低い新兵を抱えつつ正攻法に限られた作戦行動を執らなければならない状況とはいえ、ろくな戦果も挙げずに退くような無様な姿を晒すつもりは毛頭なかった。しかし、一連の戦闘で、鄭侃は満足できる戦果を挙げていない。誤算は、王真恢と程士恩の二将の存在である。
元慈六年に一戦を交えて恥辱を受けて以来、鄭侃はその雪辱を果たす機会を待ち望んでいた。陽動策戦は絶好の機会であり、征西軍がこの二将を差し向けてきたことも好都合であった。たとえ、制約された戦況下であっても、両者の力量を知った上で侮りさえしなければ、必ず頸を挙げることができると考えていたのである。それを果たすことができなかったのは、既に壮年を過ぎた鄭侃に対し、若く力が充実した二人の成長が鄭侃の予想を大きく上回っていたためであった。
天下無双を自負する鄭侃の誇りが酷く傷付けられたのは言うまでもない。それ故、鄭侃は、今回の鄂州攻略に並々ならぬ決意をもって挑んでいた。
まず、征西軍より先に契闖連合軍の動向を入手すると、鄭侃が一隊を率いて鄂州付近に潜み、鄂州からの救援隊が確認されたところで、城内に忍び込ませていた多数の間者を使って各所に火を放ち、それを合図として鄭侃隊に偽装した部隊に北門を急襲させた。鄂州城内に混乱が生じた機を見計らって、鄭侃自らが決死隊を率いて西門へ取り付き、素早く城内に侵入すると、内側から門を開け放って後詰めの本隊を城内に招き入れたのである。
鄂州城内へ突入した兵は少数であったが、鄭侃が先陣を切って悪鬼羅刹の如く暴れ回ることで、数の不利をものともせずに陶兵を次々に薙ぎ倒していった。陶軍は住民を庇いながら防戦を続けていたが、賈軍の勢いに呑まれて乱戦となり、住民共々多くの仲間を失って後退を余儀なくされた。それでも、陶軍の抵抗は激しく、最後まで抗戦を続けた楊昭らが立て籠もる政庁が焼け落ちたのは、日暮れ前のことであった。
この戦闘で賈軍は、楊昭を筆頭に、張仁秦、馬栄、陳隆、張秀平らを討ち取り勝利を収めた。しかし、その一方で、城内の掃討に手間取ったために、李光戚に率いられた多くの住民の脱出を食い止めることができなかった。
「この様子では、これ以上先へ兵を進めることはかなわぬか」
郭継徳が荒れ果てた城内に目をやりながら杜柔興に声をかけた。
「陶軍――楊昭めが思いの外手強く、我が方もいささか損害を出しすぎたようです」
「これまで手を焼いてきた相手と思えば仕方のないことではあるが、なかなか思い通りにはいかぬものだ」
郭継徳は思わず頭を抱えた。そこへ、杜柔興麾下の孫弘胤(そん・こういん)が困り果てた様子で現れた。
「申し上げます。朱謙(しゅ・けん)殿と呉玄(ご・げん)殿が、お止めしたのですが耳を貸さず、独断で陶軍の追撃に向かわれました。如何いたしましょうか」
「蒋靖(しょう・せい)と虞景弼(ぐ・けいひつ)に連れ戻すように申し伝えよ」
杜柔興が嘆息混じりに答え、主君を顧みた。
「もはや一兵たりとも無駄にはできぬというに、功を焦った阿呆どもが。大事を誤らせるつもりか。一兵でも失うようなことがあらば、その場で頸を刎ねても構わぬ!」
郭継徳が怒りを露わに吐き捨てた。
「これで我らの中原進攻は、大きく出遅れることになるぞ。挙げ句、契闖の者どもに先を越されることになれば、目も当てられぬ」
「その点はご安心を。両国の因縁はそれほど甘いものではありませぬ。両国が手を結んだは一時のことにて、堅牢な徐昌を前に城攻めが長引けば、両国はたちまち仲違いを始めましょう。万が一、徐昌が陥落するようなことがあっても、その支配権を巡って必ず争いが生じます。さすれば、徐昌を支配し続けることはかなわず、早々に手放すことになります。我らは、その機を狙って奪えばよいのです。いずれにせよ、最後に我らが徐昌を手中に収めておればよく、誰が落とすかは問題ではありませぬ」
「そうでなければ、奴らの仲立ちをした苦労も報われぬ」
郭継徳は険しい表情で頷いた。
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