空想歴史文庫

我が天命の地


[案内] [書庫]

[目次]


其の八


 呂文忠率いる征西軍が鄂州を発った。目指すは、賈の寧州である。郭良循からの度重なる要請を契機とした出陣だった。
 呂文忠の許には、賈の郭良循から、胡蕃両国と連合して郭継徳を討伐する旨を伝えるとともに、郭継徳軍の背後の牽制を要請する密書が届けられていた。無論、無条件での要請ではなく、かつて賈が陶朝へ臣従していたことに倣い、再び朝貢を行う用意があることを提示した上でのことである。
 呂文忠は半信半疑であったが、賈に何らかの動きが見られることを好機と捉えていた。密書が真実であれば陶朝にとって有利なことはいうに及ばず、たとえ罠であったとしても、看破していれば逆手にとって相手を誘い出すことも可能なのだ。
 呂文忠は、密書を直ちに朝廷へと送る一方で、賈の動向に乗じて出陣すべき旨を上奏した。そして、およそ一月の後に朝廷より裁可が下り、征西軍は進軍を開始したのだった。
 呂文忠は、老将張仁秦(ちょう・じんしん)を守将に任じ、自ら六万余の軍勢を従えて出陣した。軍の編成は、主力の歩兵五万余を呂文忠、騎兵一万を楊昭がそれぞれ統率し、李光戚(り・こうせき)を参謀とした。楊昭麾下の騎兵隊には韓封、于竣の姿もある。
 王真恢と程士恩は、韓封らと共に楊昭の騎兵隊に組み込まれていた。両名が征西軍に加わってから三カ月目にして、初の実戦となる。その間、真恢と士恩は、楊昭指揮の下、騎兵隊の一員として連日訓練を受けていた。
 武芸に長けていた真恢はたちまち頭角を現し、一隊を率いる部将としてその腕を認められた。韓封、于竣を遥かに凌ぐ武勇と、それを活かした果敢な采配が即戦力として期待され、五百騎の兵を与えられている。
 一方の士恩は、騎射に長けるものの武勇は他に劣り、激しい訓練に脱落しかけたとが一度や二度では済まなかった。士恩がようやく人並みの兵士として動けるようになったのは二カ月が過ぎた頃であったが、そこで士恩の意外な才覚が楊昭の目に留まった。
「程士恩は己の武勇が他より劣っていることを自覚し、他の者への負担とならぬよう周囲へ細かく気を配っている上、部下の力量や癖を熟知し、周囲へ目が行き届いているので、全体の動きをよく把握しているようです。彼の者の観察眼には見所があり、経験を積むことでより巧みに兵を動かすことができるようになるでしょう」
 訓練を視察した呂文忠に楊昭が士恩をそう評した。呂文忠は士恩の才を買い、騎射による攪乱を主とする三百騎の遊撃隊を与えたのだった。

 賈軍の主力は騎兵である。歩兵を主力とする陶軍では、野戦での戦闘は分が悪い。これが攻城戦となると、立場は一転する。騎兵の機動力を活かすことができない賈軍は、野戦で勝利を収めても、堅く城に籠もられれば、それ以上の侵攻を断念せざるを得なくなるのだ。一方の陶軍は、賈軍を城に押し込めることさえできれば拠点の攻略は容易となるのだが、野戦で勝てないために攻めきれずにいた。
 呂文忠が出陣の決断を下したのは、寧州へ放っていた間者から、郭継徳軍の主力である五万余の騎兵が、人目を避けるようにして慌ただしく安慶へ向けて出陣したとの報告がもたらされたためであった。寧州は手薄となった上に、騎兵の大半を欠くため、兵の質では陶軍が勝っている。まさに、好機到来といえた。
 呂文忠は、警戒を怠ることなく、慎重に軍勢を進めた。牽制を目的とした出兵であるから、異変を察知すれば直ちに鄂州へ帰還できるように備えているのである。そして、安慶へ向かった郭継徳軍に動きがなければ、一気に寧州を攻略する算段であった。
 ところが、事態は、呂文忠の与り知らぬところで急変していた。征西軍が鄂州を発ったその翌日に、郭良循が殺害されたのだ。呂文忠はその訃報を知る由もなく、予定通りに賈領内へと軍勢を進めるのだった。
 翌未明、予め周囲に放っておいた斥候から急報がもたらされた。一万の賈軍が天嶺(てんれい)山脈を越えて征西軍の背後に姿を現したというのである。そこに掲げられたのは「鄭」の旗。郭継徳の腹心の一人、鄭侃が率いる騎兵であることを意味していた。
 天嶺山脈は、鄂州の南西にそびえ立つ険しい山脈で、鄂州の南西から北西の方角へ延びており、賈の寧州の南まで連なっている。街道はこの山脈に沿うように、鄂州から北西へ向かって寧州に向かっていた。陶と賈の往来は、天嶺山脈によりその一方のみで行われ、軍勢はもちろんのこと、現地の人間でさえも容易に山越えなどできないことで知られている。本来なら、賈軍と遭遇するのであれば、正面以外にあり得ないはずなのだが、一万騎の鄭侃軍はその常識を覆した。
 諸将が動揺する中、李光戚が冷静な面持ちで口を開いた。
「おそらく、奴らは、我らに寧州の軍勢を差し向けて挟撃する腹づもりでしょうが、退路を完全に断たれたわけではありませぬ。しかも、寧州軍は未だ姿を見せておらず、如何に勇猛な鄭侃軍といえども、数に勝る我が軍に迂闊に手を出すことはありますまい。万一、鄭侃軍が仕掛けてくるとすれば奇襲しかありませぬ故、我らは、自慢の重装歩兵を前面に押し立て、鄭侃軍との距離をとって警戒しつつ粛々と軍を返せばよろしいでしょう」
「敵を前にして、一戦もせずに逃げ帰れと申されるか」
 不満げな声を挙げたのは韓封だった。
「刃を交えるばかりが戦ではござらぬ。そもそも、此度の出兵は、寧州攻略ではなく、郭継徳軍を牽制するためのもの。郭継徳の軍勢をこちらへ引き付けただけで、十分な戦果を挙げたといえます。これ以上の戦果を望むならば、必ず犠牲を払わねばならず、良策とは申せませぬ」
「李軍師の申すことはもっともである」
 呂文忠は頷き、直ちに軍を反転させた。
 征西軍が進路を鄂州へと変更すると、間もなくして「鄭」の旗を掲げた軍勢が堂々と姿を現した。埋伏を悟られたとみて、奇襲を断念したのだろう。鄭侃軍との距離を確保するために街道を避けて迂回しながら移動する征西軍に対し、鄭侃軍はその行く手を阻むように動くと同時に時折攻撃の気配を伺わせながら、足止めを試みた。
 呂文忠は、鄭侃軍が不用意に攻撃を仕掛けてくるとは思わなかったが、付け入る隙を与えるわけにはいかないため、鄭侃軍の挙動に合わせて慎重に後退せざるを得なかった。当然の如く、征西軍の行軍は遅々として進まず、いたずらに時が過ぎていくばかりであった。
 反転して既に二日が経過していたが、その間に後退した距離は半分にも満たなかった。もたついていては、寧州軍が到着して挟撃される恐れがあり、諸将の表情に焦りの色が見え始めた。
「このままでは、挟撃されるのを待つようなもの。なれば、我らが先に仕掛けると見せかけて鄭侃軍を誘い出し、決戦を挑んでは如何でしょう」
 楊昭が厳しい表情で進言した。
「それこそ奴らの思う壺。敵は高みに陣取り、地の利を得ておる。しかも、鄭侃軍の足は速く、迂闊に近付けば、高所より一気に駆け下りて勢いを増した騎馬軍から逃れる手はなく、殲滅の憂き目にあうであろう」
 呂文忠が頭を振って楊昭の進言を退けると、李光戚がそれに続けた。
「これより先は、我らが陶の領内。直ちに鄂州へ使いを送り、鄭侃軍を領内深くへ誘い込めば、我らが鄂州の後詰めとともに挟撃することが可能となります。仕掛けるならば、それからでも遅くはありませぬ。今しばらく辛抱し、後退を続けることが肝要にござります」
 呂文忠は鄂州へ使いを発し、再び後退を命じた。鄭侃軍が、付かず離れずの距離を保ちながら、巧にその進路を遮る。鄭侃軍を領内へ誘い込もうにも、思うように後退することが許されなかった。それからしばらくして、斥候から寧州軍接近の急報がもたらされた。
「さすがは鄭侃、一筋縄では参らぬ。一兵も損せずに帰還しようなどとは、虫がよすぎたか。これは腹を括るしかあるまい」
 呂文忠は苦々しそうに呟くと、諸将を召集した。
「間もなく寧州軍が姿を現す。おそらく、後退を続けても後詰めは間に合わぬやもしれぬ。しかし、事ここに至っては、一戦もやむを得まい。寧州軍は歩兵四万余、鄭侃軍と呼応して同時に攻め立てられては不利である。故に我らは、与し易い寧州軍殲滅を第一として戦う」
 寧州軍は、陶胡蕃の各外人部隊の軽装の歩兵で編成されていた。外人部隊は、各国の捕虜や流民などを軍に組み入れて戦っており、厳しい軍律の下で率いられ、逃げ出したり戦意を喪失して戦場で役に立たなくなると、容赦なく斬り捨てられる存在であった。その反面、手柄を立てれば正当な報酬と地位を得ることができるため、死をも辞さない勢いを持っている。
「寧州軍は、個々の士気は高いが、所詮は烏合の衆。己の立身出世に目がくらみ、互いに反目しあって統率に欠けておる。正面切っての戦闘を避ければ、恐れるものは何もない。気がかりは鄭侃の動向だが、奴に付け入る隙を与えぬためには、寧州軍如きに手間取っているわけには参らぬ。そこで、寧州軍には全騎兵を差し向け、一挙に方を付けるのだ。おそらく、騎兵隊が動けば鄭侃は追撃に移るであろうが、我らはその側面を突いて足止めを図る。鄭侃軍の動きを封じることができずとも、寧州軍を殲滅するだけの時を稼ぐには十分であろう。寧州軍を討ち払った後、直ちに取って返せば、鄭侃軍を挟み込むこともできよう」
「寧州軍を退けることなど、造作もなきこと。お任せあれ」
 楊昭は胸をとんとひとつ叩いて応えると、颯爽と騎馬に跨って先陣へと駆けていった。

 楊昭率いる一万の騎兵は、弧を描きながら寧州軍の右手に回り込むように進軍した。前軍には韓封、于竣ら剛の者が顔を揃え、中軍には楊昭が控える。王真恢は前軍に、軽装の程士恩は後軍にそれぞれ組み込まれていた。
 敵陣の右前方に進んだ陶の騎馬隊は、韓封を先鋒とした三千の重装騎兵をその陣の前面に展開させた。重装騎兵の強力な突撃によって大打撃を与え、まずはその出鼻をくじこうとする構えである。
 前軍の重装騎兵三千騎が、天地を震わす馬蹄の響きを轟かせ、一丸となって敵陣の右側面に突撃していった。敵の右翼は胡人部隊である。胡人部隊は、騎兵が側面から向かってくると見るや、直ちに兵を右へ向けて、迫り来る騎馬隊に真っ向から勝負を挑んでいった。胡軍兵は、半ば死兵と化していた。本来ならば、重装騎兵の凄まじいまでの迫力に、兵士たちが恐れおののくはずであった。しかし、胡軍の兵士たちは、恐れを抱くどころか、むしろ先を争って先鋒の韓封隊に群がったのである。
 韓封の重装騎兵と胡軍が激突した。重装騎兵の凄まじい突進が、胡の兵士たちを次々に跳ね飛ばしていった。胡軍兵がいかに死をも恐れぬ蛮勇を奮おうとも、重装の騎馬兵と軽装の歩兵とでは、その戦力の差は歴然としていた。
 騎兵に弾き飛ばされた胡軍の兵は、味方を巻き込んで次々に地面を転がっていった。転がった者たちは、起きあがる暇さえなく、敵味方を問わずに踏み潰されていく。先頭が突き崩されて足並みが乱れる胡人部隊に、于竣ら後続の部隊が一挙に雪崩れ込んでいった。
 だが、胡軍はそれをもちこたえた。数に勝る厚い陣容が、重装騎兵三千騎の勢いを削いで食い止めたのである。
 寧州軍の中央と左翼に展開していた陶人、蕃人両隊が、進路を右方へと向けた。寧州軍は、胡人部隊を中心として、陶人、蕃人両隊が半円状に大きく広がりながら前軍の包囲を開始する。だが、陶人、蕃人両隊のその動きは、各々が手柄ほしさに、ただ闇雲に前軍へと殺到しようとするものにすぎなかった。互いに協力をして敵を殲滅しようというものではなく、むしろ他者を出し抜いてやろうという意図によるものであった。そのため両隊は、味方を押し退け、あるいは迂回しながら、陣を大きく横に、そして薄く広げてしまったのである。
 楊昭は、それを待っていた。
「敵が隊を乱したぞ。皆の者、後れをとるな!」
 それまで、速度を抑えて進軍し、敵陣に統制の乱れが出てくるのを待ち構えていた楊昭が、全軍に突撃を命じた。
 寧州軍は、楊昭隊の急襲に即座に対応することができなかった。寧州軍は機動力に劣る歩兵で編成されてるため、一度大きく陣が広がった後では、すぐに陣をまとめることができないのだ。
 楊昭麾下の騎兵七千が、くさび形の陣形を組んで敵陣のど真ん中へ突撃した。寧州軍は、楊昭隊の参戦に慌てふためいた。浮き足立った寧州軍は、楊昭隊を押しとどめて抵抗しようとする素振りは見せず、道を譲るかの如く左右へ散っていった。
 楊昭隊が、敵陣を真っ二つに切り裂いた。
 楊昭隊の突入を易々と許してしまった外人部隊の各大将は、声を張り上げながら乱れた陣を立て直そうと躍起になっていた。だが、形勢が不利と見るや、兵士の多くは手柄を得ることはできないと早々に見切りをつけ、逃走を始めた。これが混乱に拍車をかけた。
 韓封隊が、その隙を突いて胡人部隊を蹴散らし、囲みを突破した。そして、敵陣にくさびを打ち込んだ楊昭隊と合流し、さらにその傷口を広げていった。
「敵は統制を失った。これより反転し、敵の息の根を止める!」
 楊昭は、隊を反転させて再び寧州軍へ向けて突撃するや否や、隊を五つに分けて、縦横無尽に駆け巡らせた。寧州軍は、抵抗らしい抵抗もすることなく、散り散りとなる。
「張桓(ちょう・かん)討ち取ったり!」
 逃げ遅れた胡人部隊大将の頸を掲げた韓封が雄叫びを挙げた。寧州軍は戦意を完全に喪失し、敗走した。
 わずか四半刻(約三十分)程度の戦闘で寧州軍が壊滅した。十分すぎる戦果である。
 楊昭は、寧州軍の追撃を命じずに、余勢を駆って鄭侃軍を討つべく兵を駆けさせたまま纏めようと周囲を見渡した。次の瞬間、楊昭は己の目を疑うこととなる。
 背後に鄭侃軍が迫っていた。


[目次]

[案内] [書庫]