郭継徳は、祖父郭成玉と対立していた父郭広玄の即位により、危うい立場に立たされていた。その中で郭継徳は、遠征により長く本国を離れていたことから、外にあっても素早く本国の異変を察知できるようにと、常に間者を本国に潜ませてその動向を事細かに探っていた。そこで得られた賈王危篤の報は、郭継徳にとって、まさに千載一遇の好機であった。
郭継徳は、その吉報をいち早く察知するや、軍勢を整える暇さえ煩わしく、わずかな手勢を率いて本国へと取って返した。郭良循は郭継徳の決起までにおよそ三カ月の猶予があると踏んでいたが、郭継徳はそれを一月半程度でやってのけたのである。
郭良循は、その直属の部下およそ三百名とともに粛正された。兄継徳の討伐を画策しておきながらも、挙兵する暇さえ与えられることのない、呆気ない幕切れである。
しかし、事態は全て終結したわけではなかった。郭良循の策によって、胡、蕃両国との間には密約が結ばれていた。先代郭広玄が推し進めた穏和政策の影響から、その意志を継ぐ郭良循と両国との関係は良好であり、郭良循の真摯な申し出と盟約締結に際して提示した条件、そして郭良循自身の人柄によって、両国は協力要請を承諾したのである。
胡、蕃の両国王は各々手勢をまとめて、密かに臨州(りんしゅう)に軍勢を集結させていた。郭良循の許へと駆けつけるために、胡、蕃の両王が、互いに示し合わせて軍勢を合流させていたのである。この臨州は胡の北東部にあり、賈と国境を接している都市であった。胡の国境都市とはいえ、蕃からもさほど遠くないこともあり、胡蕃両軍を合流させるにはまさに打って付けの位置にあった。
両国の挙兵の背景には、郭広玄に任命された賈人官吏らの存在が欠かせなかった。彼らは、郭広玄の意図をよく汲み取り、郭成玉以来の圧政の改善に尽力した者たちだった。この度も、郭良循の期待によく応えたのである。
胡、蕃両軍が合流したのは、郭良循が殺害される前日のことであった。これから救援に赴こうとしている郭良循が、まさに風前の灯火に等しい状況にあることなど、この両国王は知る由もなかった。
両国王は、郭良循の命で参上した使者を歓待していた。
「我ら、賈王陛下より数々の御恩を受け、今さらに、その御子息であらせられる郭良循殿からも寛大なるお言葉を賜り、感激の極みにござります」
胡王が恭しい態度で答えていた。そして、胡王の言葉に倣うように、蕃王は使者に対して深々と頭を下げた。
「何をなされます。私ごときに頭をお下げになるなど、もったいのうござります」
使者は、両国王のあまりの腰の低さに驚き、当惑した。無論、この使者とて、明日の悲劇を知るはずもなかった。
「我が主君は、此度の作戦は両陛下の協力なくして為し得るものではない、と何度も申しておりました。即位の暁には、両国と対等の国交を結び、ともに手を携えて栄えていくことを切に願っております。我が主君は、両陛下のご協力を心から感謝しておられるのです。どうか、お顔を上げてくださりませ。感謝せねばならぬは、我らにござります」
「もったいなきお言葉、恐悦至極に存じます」
両王は平伏し、答えた。使者は、その様子に戸惑いながらも、感激して帰っていった。
胡、蕃両軍が臨州を発ったのはその翌日のことであった。郭良循を助けるべくして彼らが賈の領内へと足を踏み入れたのは、奇しくも、その郭良循が殺される当日のことだった。
両軍は安慶へ向けて、一路北上した。臨州から安慶までは、距離にしておよそ二百五十里(約百四十キロ)、行軍にかかる日数は七日ほどである。
胡蕃連合軍の兵力は、胡軍が七千、蕃軍五千、両国から同行した賈の軍勢がそれぞれ二千ずつの合計一万六千であった。十万を擁しているといわれる郭継徳に対抗するには、あまりにも少ない兵力である。しかしこれは、あくまでも第一陣の編成に過ぎなかった。
この第一陣は、速やかに安慶を拠点として備えるために取り急ぎ集められた兵士たちであった。ろくな準備もなく、急ごしらえで集めたものであるから、これが限界だった。しかし、後続として集結しつつある第二陣以降には、両国それぞれに一万数千、あるいは二万に及ぶ兵が控えていた。全てを合わせれば、五万を超す勢いである。数の上では郭継徳軍にやや劣るものの、安慶の地を確保して対峙することを考慮すれば、それでも十分すぎるほどの兵力といえた。
安慶は、堅固な城壁を備えることで名高い城塞都市であった。二、三万の兵を擁して立て籠もれば、たとえ十万の大軍が押し寄せようとも容易には落城しない。長期戦の備えが万全であれば、五、六年をもちこたえることも可能なのだ。この安慶に籠城し、長期戦へと持ち込んでさらに陶朝とも手を結ぶことが実現すれば、たとえ郭継徳率いる十万の大軍を相手にするといえども、形勢を完全に逆転させることができるという算段であった。
「郭広玄様の御代となってから、我らの暮らしもずいぶん楽になったものだ。そのご意志を郭良循様がお継ぎなさるのであれば、我らも協力せずにはおれまい」
「左様、郭継徳殿が国の全権を掌握されたら、我らは死に絶えるより道はない」
蕃王の言葉に、胡王が返した。彼らにとって、郭継徳は天敵にも等しい存在であった。郭継徳の祖父郭成玉に領土を征服されて以来、彼らは従属国として常に圧政に苦しむ立場にあった。王族といえば聞こえはよいが、今と比べれば、その暮らしはまさに雲泥の差だった。領民たちの暮らしぶりともなるとさらに厳しく、貧困に耐えきれず、むしろ喜んで兵士として徴発されることを望む者が続出したほどだった。それが、郭広玄の代となると、その生活水準は格段に向上した。今にして思えば、かつてはまさに生き地獄であった。この跡目争いで郭良循が勝利しなければ、両国は再び地獄へと突き落とされるのである。
「だが、我らだけであの郭継徳殿に勝てようか」
「うむ、郭継徳殿は名うての戦上手。正面から戦っては、たとえ兵力に勝っておっても勝てぬやもしれぬ。まして、兵力が劣っておればなおさらだ。我らの力だけでは、到底勝利など得られまい」
「しかし、我らの挙兵で、同胞のいくらかは郭継徳殿の軍を離反するやもしれぬ」
「おお、胡王殿の申されるとおりだ。我らが覚悟を見せれば、同胞らは必ずやともに立ち上がってくれよう」
「左様、離反する者が相次げば、いかに郭継徳殿とてまともな戦などできまい」
両王は互いに顔を見合わせ、心を奮い立たせようと努めた。しかし、心底に強く根付いた不安を完全に消し去ることはできなかった。
「いや、やはり我らだけでは心許ない。ひいき目に見ても、五分と五分が関の山ではないか」
「やはり、蕃王殿もそう思われるか。実を申さば、わしも不安でたまらぬ。情けないが、我らの力のみでは郭継徳殿に勝てるとは思えぬ」
「郭良循殿のお話によれば、陶とも手を結ぶというではないか。仮に、陶の助力が得られたならば、郭継徳殿は四方を囲まれ孤立する。さすれば、我らにも勝機が見えてくるのではないか」
「蕃王殿の申されるとおりだ。確かに、陶が郭継徳殿の背後を脅かせば、形勢は大きく我らに傾く。離反者の数とて、我らに呼応する場合の比ではないぞ」
「だが、果たして陶は兵を出すであろうか」
蕃王が水を差すように、不安げな口調で呟いた。
「陶も好んで戦をしているわけではあるまい。自ら膝を屈しようとする者の言葉を、無下に突っぱねるようなことがあろうか。考え過ぎではないか」
「うむ。だが、陶と賈は仇同士。簡単には手を組まぬように思われる。そこでだ、胡王殿よ。我らも陶に恭順の意を示し、朝貢してはどうであろう。郭良循様だけでなく我らも帰順するとなれば、陶朝にとって願ってもないことではなかろうか」
「おお、それは妙案だ。皆で頭を下げれば、きっと陶朝も情けをかけてくれよう」
「よし。この件は重要なこと故、我らの一存で事を運ぶわけにもいくまい。郭良循様にお伺いをたてようではないか」
蕃王は伝令兵を呼びつけ、安慶の郭良循の許へと向かわせた。
「間違いないのだな」
「はっ。胡、蕃両軍は、確かに国境を越えまして参りました」
杜柔興(と・じゅうこう)が郭継徳に答えた。
「ふん、迂闊な奴らめ」
言いながら郭継徳は、手を叩いて喜んだ。
「それと今一つ。先頃、蕃軍よりの急使と思われる者を捕らえたとの報告があり、一緒に斯様な密書が送られて参りました」
郭継徳は、杜柔興から差し出された書状を受け取ると、軽く一読して握り潰した。
「呆れ果てるな」
そう呟き、郭継徳は丸めた書状を杜柔興に投げてよこした。胡、蕃両国王から郭良循にあてた密書であった。そこには、陶朝への出陣要請に積極的に協力する旨が記されている。
「如何なさりますか」
「生かす価値もない。奴らは我が祖父の下で、何も学んでおらぬようだな」
郭継徳が吐き捨てるように言った。
「両軍を迎え撃とうにも、手勢はわずかしかおりませぬ。本隊の到着は、あと十日ほど待たねばなりませぬが……」
「いや、今は兵を用いぬ。ここで戦をするは、あとが面倒だ」
「策を用いて兵を退かせるのですな」
郭継徳の一言で全てを察した杜柔興は、不敵な笑みを浮かべて相づちを打った。
「さすがに察しがよいな。ここは、ただ一通の書状をもって万の敵を退けてみせよう」
郭継徳は筆と硯を持ち出し、おもむろに書状をしたためはじめた。書き終えると、郭継徳はそれを杜柔興に手渡した。
書状を受け取り、その書面に目を通した杜柔興は、小さく頷いた。
「これで策は成りましたぞ。奴らは臆病風に吹かれた匹夫の輩。良循殿の死を伝えればたちまち震え上がり、この書状を見れば、小躍りして自ら進んで降伏を申し出るでありましょう」
賞賛する杜柔興に郭継徳が不敵に笑って見せた。
「よし、使者の任は其の方に任せよう。其方が顔を見せれば、奴らは平静を保ってはおれまい。騎兵を五十騎ばかり率いて行くがよい。任を終えたら、そのまま本隊と合流せよ」
「御意にござります」
杜柔興は一礼し、下がっていった。
それから、杜柔興が安慶を発って胡蕃連合軍の野営地を訪れたのは、二日後のことであった。郭良循の死から既に四日が経っていた。
「申し上げます!」
連合軍本営に、伝令兵が慌ただしく駆け込んできた。
「なにを慌てておるか。落ち着くがよい」
「申し上げます。安慶より、郭継徳将軍の使いの方がお見えにござります」
「今、なんと申した」
胡王は、ふと首を傾げた。伝令兵の報告を聞き間違えたような気がしたのだ。
「郭継徳将軍の使いの方が参ったのでござります」
改めて告げた伝令兵の言葉に、連合軍本営が一瞬のうちに緊張に包まれた。
「郭良循様の使者の間違いではないのか!」
「いえ、杜柔興将軍が郭継徳将軍よりの書状を持参しております故、相違ござりませぬ」
胡王と蕃王の顔面から、一気に血の気が失せていった。
杜柔興といえば、郭継徳が抱える腹心の一人だ。もう一人、鄭侃(てい・かん)という名の武将とともに郭継徳配下の将軍として双璧を為している強者である。この両名は、それぞれ郭継徳の祖父郭成玉の下で育て上げられた武将で、杜柔興は知略に優れ、鄭侃は武勇に優れた将軍としてその名を馳せていた。二人は、郭継徳の初陣に際してその補佐役として側に仕えるようになり、以来、常に郭継徳の手足となって忠誠無比の働きをしている人物だ。この杜柔興にしろ、猛将鄭侃にしろ、郭継徳以外の命で動くことなど万に一つもあり得ない人物であった。
胡王と蕃王の二人は、驚愕のあまり声を失った。互いに顔を見合わせ、無言で考えを巡らすが、その対応を決めかねた。
「陛下、如何なされますか」
伝令が、胡王を急かした。杜柔興は、既に陣の外に到着している。敵対すべき相手からの使者が陣を訪れたとなれば、何か異変があったに違いない。ここで対応を誤るわけにはいかなかった。
胡王が蕃王に目配せをした。蕃王は、決意したようにそれに頷いて返した。
「よし、杜柔興殿をここへお通しせよ。よいか、くれぐれも粗相があってはならぬ。丁重にお連れするのだぞ」
それからすぐに、両国王の前に男が姿を現した。紛れもなく、その男は杜柔興であった。胡王と蕃王は、それぞれ平静を装って恭しく挨拶し、杜柔興を迎え入れた。
「ところで、郭継徳将軍の腹心であらせられる杜柔興殿ともあろうお方が、何故斯様な地に参られたのでござるか」
蕃王が己の行動を棚に上げ、杜柔興に問いかけた。それに答えるべく、杜柔興は姿勢をただし、一礼した。
「某が参ったは、両陛下にご報告せねばならぬことがあるからにござります」
「それは一体、どのようなことであろうか。もったいぶらずに、早う教えてくだされ」
胡王が身を乗り出すようにして尋ねた。
「まずは、両陛下に訃報をお届けしなければなりませぬ。我が主君郭継徳の御弟君にあらせられた、郭良循様がご逝去なされました」
両国王の顔が硬直する。最悪の事態に直面した。郭良循はまだ十分に若く、病弱でもない。その死が自然死でなく、郭継徳の手に掛かったものであることは明らかだった。
両王は、恐怖におののいていた。事が露見して逆襲されたのだ。両国王の頭の中が真っ白になっていた。
「両陛下のお心はお察し申し上げます。親しくされておられた方の突然の訃報を告げられれば、誰であろうと心穏やかではおれぬもの。この杜柔興、心より、お悔やみ申し上げます」
両王は、この杜柔興の遠回しな言いぐさに、さらなる恐怖を覚えた。
「されど、両陛下にお伝えせねばならぬものは、訃報だけではござりませぬ。お二方にとっての吉報も届けに参った次第にござります」
二人は互いに顔を見合わせ、期待に顔を輝かせた。
「き、吉報とは、如何なるものにござるか」
藁にもすがるような想いで、胡王が問い質した。
すると杜柔興は、おもむろに懐から書状を取り出した。郭継徳直筆の書状である。杜柔興は二人の前で書状を広げると、その文面が二人に見えるよう眼前に突き付けてみせた。
「我が主君は、お二方が何を企んでおられたか全て承知しておられる」
杜柔興が、敢えて口調を厳しいものに変えて切り出した。
「しかしながら、我が主君は、今ここでご両人が速やかに兵をお退きくださるというのであれば、此度の一件全てを不問に付すと仰せにござる。我が主君の最大の温情に対するお二方の返答や如何に」
両王は、その書状を受け取り、杜柔興と書状とを交互に見やりながら、歓喜の表情を顕わにした。そして両王は、慌てて杜柔興の前に跪くや、
「ありがたき幸せにござります!」
と、平身低頭となって感謝の意を述べた。
「郭継徳様よりのご温情、真にもって身に余る光栄にござります。しかしながら、我らのような不逞の臣が、ただ郭継徳様の恩恵を受けるだけではあまりに無礼と申すものにござります。我ら、郭継徳様の恩義にお応えするべく、今この場で直ちに武器を打ち捨て、降伏することを願い出とうござります」
そう言うや否や、両名は腰の剣を鞘ごと外して杜柔興の眼前に捧げて平伏し、降伏の意を表明した。杜柔興は二人の降伏を受けるべく、それぞれが差し出した剣を受け取った。
「お二方のご英断、この杜柔興、しかと見届けましたぞ。郭継徳様も、お二方の真摯な振る舞いを聞けば、きっとお喜びになられるでありましょう」
「もったいなきお言葉にござります!」
胡、蕃両国王が、歓喜の涙を流しながら再び深々と平伏した。
杜柔興は両国王の態度に感動した面持ちで力強く頷きながら、内心でほくそ笑んでいた。
前線より四万の兵が郭継徳の許へ到着したのは、胡蕃連合軍を一通の書状によって追い返した日より、わずか五日後のことであった。
郭継徳は既に安慶を発っており、四万の軍勢とは臨州で合流していた。つい十日ほど前には、胡蕃両軍がここに集結していたのだが、今やその軍勢は一兵たりとも見当たらない。両軍勢は、それぞれ降伏を申し出た直後、その足で本国へ帰還する途についたのである。
郭継徳は集結した四万の軍勢を二手に分け、一方は胡国へ、一方は蕃国へと向かわせた。胡国へ向かう二万は、郭継徳自らが率いていた。蕃国へは、腹心の杜柔興が率いて向かっている。
四万の軍勢は、全て軽装の騎兵のみで編成されていた。この作戦に要求されることはただ一つ、敵に動向を気取られることなく、如何に迅速に事を起こすかである。作戦の半分は既に成功を収めていた。弟の郭良循に察知されることなく、郭良循の決起を未然に防いだのだ。そして残るは、胡、蕃両国の本拠へと速やかに侵攻することであった。
「降伏を申し出た胡、蕃両軍は、武装を解いて帰国の途についておる。今、奴らは降伏が聞き入れられたと信じて油断し、我らが後方より迫っていることなど夢にも思ってはおるまい。奴らを悉く討ち果たす好機は、まさに今をおいて他にない。まずは、本拠へと帰還する前の両軍を叩き、胡、蕃両国王を生け捕りにする。次いで、我らは両軍になりすまして帰還を装い、敵の本拠へと一気に雪崩れ込む。そして、此度の謀反に荷担した胡、蕃の王族及び賈人官吏を全て引っ捕らえ、見せしめとして斬首に処す。特に、胡、蕃両国の王族は、一族郎党全てを捕らえよ。何人たりとも逃してはならぬ!」
郭継徳の号令の下、四万の軍勢が一斉に動き出した。各二万の騎馬軍団は、まさに風のような速さで胡、蕃両軍を追撃したのであった。郭継徳率いる二万の軍勢は、臨州を発ったその三日後には、完全に油断しきった胡軍と遭遇した。武具の類を全て打ち捨てた胡軍には既に抵抗する術は何も残っておらず、また、抵抗する気力さえも消え失せていたため、突然の郭継徳軍の襲撃の前にひとたまりもなかった。胡軍は、三千人にも及ぼうかという死者とそれに倍する負傷者を出し、半ば全滅の憂き目にあいながら胡王までもが生け捕られていた。
一方の郭継徳軍は、一兵の死者すら出さないまさに完全なる勝利であった。しかし、郭継徳はその勝利に酔いしれることなく、直ちに兵を胡の本拠胡城(こじょう)へと差し向けたのだった。そしてその翌日の明け方には胡城へと辿り着き、あらかじめ胡軍を装っていた郭継徳軍は、何一つ怪しまれることなく城内へと侵入することができたのだった。
城内へと突入した郭継徳は、自ら五千の手勢を率いて速やかに政庁と宮廷の占拠へと向かった。残る手勢のうち三千は、各城門へと走って退路を全て断ち、さらに一万は城内に残る残存兵の掃討へと移っていた。もっとも、後詰めとして出陣するはずであった兵は、降伏を申し出た胡王より早馬にて命を受け既に解体された後であった。そのため、城内では抵抗らしい抵抗は何一つ起こらず、たちまち郭継徳軍に占領されたのであった。
これらの任に当たらず最後に残った二千の兵には、政庁の外に潜む謀反人たちを手分けして捜索する任務が与えられていた。
郭継徳が占拠した政庁では、賈人の官吏がおよそ五十名ほどが捕らえられた。捕らえられたのは、それぞれの部署の長官などの責任者ともいえる立場の者たちのみであった。同じように捕らえられるとばかり思っていた末端の官吏たちは、郭継徳の処置に泣いて喜び、感謝したのだった。
宮廷では、胡王の一族だけにとどまらず、その妾や召使いに至るまで三百余名の者たちが捕らえられた。さらに、胡王一族と関わりのあった者を細かく調べ上げ、街中から一人残らず政庁へと引っ立てられていった。その中には、妾の一族の者たちなど、間接的に関わった者たちまでもが含まれていた。
これら全てを捕らえるには、二日を要した。こうして集められた者たちは、およそ千五百名を数えた。郭継徳軍が現れてわずか二日の間に、胡城の中だけで、二千名に達するかという数の人間が、一斉に捕縛されたのであった。
「郭将軍、此度の一件は、全て不問に付すとのお約束だったではありませぬか。それ故、我らは自ら降伏を申し出て、郭将軍に敵意を抱いておらぬ証を示したにござりますぞ!」
縄を打たれて身動きのとれない胡王が、涙ながらに訴えていた。既に、処刑が行われる旨は伝えられていた。一族郎党の悉くが縛につき、処刑の準備が整い次第、順番に頸が刎ねられていくことになっていた。
郭継徳が、胡王の前までゆっくりと歩み寄っていった。
「郭将軍、何故にござるか! 我らは、貴殿と争うつもりなどなかったのだ!」
郭継徳は冷笑を浮かべた。
「謀反を企てた良循も愚かなら、それに従う其方らも愚かであるな」
「どうかお許しくだされ、約束が……約束が違います!」
「つくづく、愚かよのう。謀反を企てておきながら、今更命乞いなどとは。ひとたび反旗を翻すからには、殺すか殺されるか、二つに一つ。その覚悟すら定まっておらぬ腑抜けに、そもそも謀反など起こせようものか。まして、挙兵しておきながら許されるなどと考えるは、言語道断! 己の愚かさを恥じるがよいわ!」
「郭将軍、我らは弟君にそそのかされただけなのだ。我らに反逆の意志はなかったのだ。信じてくだされ、郭将軍! わしの命はどうなっても構わぬ。だが、せめて、家族の命だけでも、お助けてくだされ。全てわしの一存で決めたことなのだ。家族は関わりがござらぬ。どうか、どうか家族の命だけは……」
「胡王殿ともあろうお方が、なんと情けなき姿であろうか。長く属国の王として暮らして参った故、国王としての威厳も誇りも忘れられたと見える。貴殿が斯様にふがいない故、此度のような事態になったとは思わぬか」
「郭将軍の申されるとおりにござります。わしには王としての威厳も誇りも既に残っておりませぬ。だからこそ、こうして全てをなげうって乞うております。家族の命だけは、どうかお助けくださりませ!」
必死で懇願する胡王を見下しながら、郭継徳は呆れたように溜息をついた。
「胡王殿は、この期に及んでもまだ、この郭継徳という人間が分かっておらぬようだな。其方を許すなら、初めから降伏を受け入れておる。其方の一族を許すなら、戦場にて其方の頸を刎ねておる。分かるか、胡王よ。如何なる理由があろうとも、この俺に一度でも背いた者は、誰一人として生かすつもりはないのだ。まして、その首謀者の一族郎党ともなれば皆、同罪である。其方の一族に、助かる道など存在せぬのだ」
言い終えると、郭継徳は胡王に背を向けた。
「此奴らを連れていき、直ちに処刑せよ。ただし、子供から順に一人一人じっくり時間をかけて殺していくのだ。楽に死なせてはならぬ。俺に背いた者の末路が如何なるものか、万民に知らしめてやるのだ。胡王は最後に殺せ。己の一族が滅びる様を、最期まで見届けさせるのだ」
郭継徳はそう言い残し、二度と振り返ることはなかった。
捕らえた約二千人の処刑が全て終わったのは、その翌日のことであった。最後に処刑される胡王は、最後の最後まで助命を乞い続けて殺された。そして、処刑された者たちの首は、全て城外にさらされることとなった。
蕃国でも、同じように二千余名の謀反人が捕らえられ、処刑された。
郭良循の死から始まるわずか一月足らずの期間に流された血は、優に一万を超えた。しかし、その中に郭継徳一派の者たちは、誰一人として含まれていなかった。郭継徳は、己の血を一滴たりとも流すことなく、反抗勢力を一掃して除けたのである。
この翌月、郭継徳は正式に賈王即位を宣言した。
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