この作品を最初に書き上げたのは、2002年の初め頃。その後、2004年の夏頃に加筆修正を終えて、一旦はこの作品を完結させた。ちょうどその頃、創作活動とは違うが書類作りの仕事をするようになって、日常的に文章を書き続けるようになった。その影響で文章を書くことに飢えることがなくなったというか、この2004年の加筆修正以後、創作活動自体から離れることとなった。
それから歳月が経って2012年頃に創作意欲が高まり、久しぶりに小説でも書こうかと思い立ったのだが、執筆を休止して既に10年近く経っていた。そこでいきなり新作は厳しいだろうと考え、肩慣らしの意味合いで取りかかったのが本作の再度の加筆修正だった。
2012年からの修正では、主に助長な展開や不自然に主人公が持ち上げられている部分を直して、代わりに脇役の出番を増やしてバランス調整を行った。結果、分量自体は多少減ったが、展開はより自然な流れなったと思われる。結局、この修正を数回に亘って行って、2014年4月頃に全ての修正を終えて最終版とした。それから公開の準備をしようとしていたのだが、修正を終えたところで満足してしまったところがあって、色々と面倒になって2年余り放置し、ようやく思い出したように作業を再開して一挙公開に至った。ちなみに、今回の修正で肩慣らしをしたはいいが、新作には手をつけていない。
さて、作品のタイトルにある「天命の地」には、「在るべき世界/活躍できる世界」といった意味合いを込めている。文人の家系に生まれながらその方面に才能がなかった主人公・程士恩にとって、程家は天命の地ではなかった。その家を捨てて新たに踏み入れた武人の世界が、士恩にとっての天命の地であり、その後の栄達につながっていくのである。ところが物語の終盤、士恩は一度捨てた程家に戻ろうとしてしまった。これは天命の地を捨てるようなもので、それまでに重ねた栄達の反動から最悪の結末を迎えることとなる。
士恩はその生い立ちから、「家/家族」に非常に強いコンプレックスを持っていた。14話目で兄らと対峙して決別することで一旦は解消されるが、妻子の死がそれを不十分なものとしてしまった。何事もなければ、妻子の存在によって自然にコンプレックスを克服することになったのだろうが、妻子の死でその着地点を見失うのである。物語の終盤に没落した兄らがすり寄ってくることになるが、妻子の存在があれば、士恩は見向きもしなかったであろう。しかし、妻子を失って地に足がついていなかったがために、コンプレックスが刺激され、惑わされてしまった。
作中、妻子に関する描写はかなり少ないが、それは意識して抑えるようにしたものだった。あまり書きすぎるとあからさますぎるし、作品の世界観にも合わないような気がしたからだ。ただ、士恩の運命を左右する存在であるから、そのさじ加減をどのくらいにすればいいか悩んだし、現段階でも適切かどうか絶対の自信があるわけではない。それでも、妻子に関する描写に1番気を遣って修正したことは間違いない。
ともかく、いつまでも過去の作品で留まっているわけにもいかず、どこかで区切りをつけなければならないから、これで本当に最後にする。
2016年 8月23日 田豊
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