ちん けいし
陳慶之(字:子雲)
(484〜539)
中国・南朝梁代初期の人物。弓や乗馬が不得手であったという。
幼少から蕭衍(後の梁の武帝)の側に仕え、蕭衍が梁を興すとその将となり、数々の武勲を立てた。
曹仲宗に従って渦陽を攻めた際には、北魏の援軍15万と長期に亘って戦って士気が衰えたところを鼓舞し、一計を案じて北魏軍を討って渦陽を降伏させた。
梁に降った北魏の北海王を魏の主とするよう命じられると、わずか7千騎を率いて洛陽へ向かい、数万や時には30万に及ぶ北魏の大軍と交戦を繰り返して洛陽に至った。140日間で32の城を陥とし、47戦向かうところ敵なしであった。
洛陽を手中に収めた北海王が陳慶之を警戒して、進言に耳を貸さずに遠ざけ遊興にふけっていたため、北魏の大軍の反撃に遭ってわずか2ヶ月あまりで洛陽が奪われた。陳慶之は撤退を余儀なくされ、北魏軍の追撃や洪水により軍が四散したが、自らは僧に姿を変えて落ち延び、生還して、北伐の功により賞せられた。
その後も前線で戦い続けて功を立て、飢饉に際しては民に施してこれを救い、その徳を称えられた。
享年五十六。
|