空想歴史文庫

孫子



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雑感

 春秋戦国時代といったら、500年以上もの長い期間の中で、後世から手本とされる英傑たちがゴロゴロと登場してくる時代だ。おそらく、英傑を取り上げようとすれば、ネタに欠くことはないだろう。しかし、今のところ、どうも個人的にはあまり興味を惹かれない。そんな中で、敢えて春秋戦国時代を代表して1人(正確には2人だけど)を挙げるとすれば、現存する最古の兵法書を著した孫子になるのかな、と。

(2010/8/2)

 春秋戦国時代の思想家で最も評価されているのは、おそらく孔子だろう。孔子の起こした儒教は中華思想の根源ともいえる存在となって、やがて学問としても大いに発展した。その理念は確かに素晴らしいものかもしれないが、それが広く浸透しているはずであるにもかかわらず、中国の歴史は混沌として、積極的に学んでいたはずの士大夫層は汚職まみれだったりする。儒教の理念が実践されてたといえるか怪しい。
 これに対して孫子の兵法は、論ずるまでもなく、現代でも軍事のみならず実生活においても通用する極めて実践的な思想だ。儒教とは活用する方向性が違うから、単純に同列に並べて比較することはできないが、個人的には敢えてこの点を重視して、孔子よりも孫子を高く評価している。だからこの時代の代表として、孫子の名が真っ先に挙がる。

(2016/11/30)

 孫[月賓]が[广龍]涓を討った話がおもしろいので、詳しく紹介する。
 かまどを減らす策で[广龍]涓(魏軍)を誘い出した後、孫[月賓]は魏軍の通過地点にある大木に文字を書いた板を吊しておき、伏兵には日没後に火がともったらそこへ目掛けて矢を射るように命じた。
 孫[月賓]の予測通り、辺りが暗くなった頃に魏軍が到着して、大木に吊された板を発見する。何やら文字が書かれているが暗くて見えないということで、[广龍]涓は明かりをつけるように命じて文字を読んだ。そこで[广龍]涓が目にしたのは、「[广龍]涓この樹の下に死す」の一文。あっと思ったところに、一斉に矢を射かけられて、[广龍]涓は命を落とした。
 仇敵を罠にはめて誘い込んだ先で、死の予言を見せつけて本当に殺す。まるでマンガのような展開である。2千年以上も前にこのような出来事が史実として存在していたのだからおもしろい。

(2016/12/4)


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