り げんこう
李元昊
(1003〜1048)
中国・北宋中期の人物。
タングート族・拓跋氏を出自とする。西夏の初代皇帝(景宗)。
若い頃、ウィグルを討って西域を支配下に治める功を挙げた。
父・李徳明の死に伴って王位を継承すると、諸制度を整備して独自の年号や西夏文字を制定し、勢力拡大に務めた。
帝位を称して大夏(西夏)を建国し、宋に対し独立を宣言すると、自ら軍を率いて宋に進攻し勝利を重ねて戦況を有利に展開させた。宋軍が守りに徹して戦線が膠着すると、宋との国交が断絶されたことも相まって次第に疲弊し、宋に対して臣従する代わりに多額の歳賜受け取ることで講和した。
宋との関係を決着させた一方で、遼の侵入を防いで講和を成立させ、西域での支配権を確立させた。
宋や遼に比肩する国家を築き上げた英傑であったが、皇太子の寧令哥に暗殺されるというあっけない最後を迎えた。
享年四十六。
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