空想歴史文庫

直江兼続


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略伝

なおえ かねつぐ
直江兼続
(1560〜1619)

 日本・戦国時代末期〜江戸時代初期の人物。
 文武に秀でた当代随一の名臣。上杉家の宰相として仕える。
 幼少の頃からのちの主君となる上杉景勝の側近として仕え、常にその右腕として付き従う。両者の絆は強く、豊臣秀吉が兼続を家臣にと望んでも、両者ともに頑として拒んだほどである。
 豊臣政権において上杉家が百二十万石を拝領した際には、秀吉より三十万石を与えられたといわれ、陪臣の身でありながら一級の大名並の扱いを受けていた。
 秀吉死後、政権掌握を図る徳川家康に上杉家が謀反の嫌疑をかけられると、直江状を送りつけて家康を痛烈に批判した。
 関ヶ原合戦では、奥州にて徳川方に与する最上・伊達両家と交戦するも、石田三成の敗北により撤退を余儀なくされる。その際、史上稀にみる壮絶な撤退戦を展開し、最上・伊達両軍を退けて勇名を轟かせた。
 関ヶ原敗戦後は主家存続に尽力し、名宰相としての才能を遺憾なく発揮した。
 享年六十。


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