空想歴史文庫

中島豊後守


[案内] [史料室]

[日本史]
[目次]


略伝

なかしま ぶんごのかみ
中島豊後守
(?〜1574?)

 日本・戦国時代後期の人物。諱は不明。犬山城主・織田信清の家老として小口城主を務め、後に織田信長に仕えた。
 織田信清が浮野の戦い(織田信長と織田信賢との戦い)で従兄弟の信長を支援した際、信清の将として従軍した。
 しばらくして信清と信長が対立すると、信長は犬山城攻めに先立って岩室重休を派遣して中島豊後守の調略を試みたが、中島豊後守はこれを拒絶した。そこで、信長軍が小口城へ進攻すると、中島豊後守は岩室重休を討つなどして信長軍を一度は退けた。
 ところが、信長が拠点を小牧山城へ移したことで、小口城や黒田城(ともに犬山城の支城)の形勢が不利となると、丹羽長秀の調略によって黒田城主・和田定利が信長に降り、中島豊後守も丹羽長秀と和田定利の説得により信長に降った。その結果、犬山城が陥落して織田信清は甲斐へ逃亡した。
 その後、中島豊後守は和田定利とともに信長の将として仕え、大河内城の戦いや伊勢長島の戦い(長島一向一揆)などに従軍。天正二年(1574年)の長島攻めにも和田定利とともに従軍したが、和田定利が戦死、中島豊後守は歴史の表舞台から姿を消した。

(2022/1/27)


[目次]
[日本史]

[案内] [史料室]