あべのなかまろ
阿倍仲麻呂
ちょう こう
(唐名)晁衡
(698〜770)
日本・奈良時代末期の人物。唐名を晁衡(朝衡)という。
若くして遣唐使に加わって唐に渡り、科挙に及第して官に就いた。李白や王維ら文化人と深い親交があり、才覚が認められて玄宗の側近として仕え、玄宗の子・儀王の教育係(儀王友)を任された。玄宗からの信任が厚く重用されたため、帰国を願い出た時には許可されなかった。
唐朝に仕えること30余年、秘書監に任命され、まもなくして帰国が許されたので、遣唐使として唐を訪れた藤原清河や吉備真備らとともに、唐の高僧・鑑真を伴って日本への帰国を試みた。しかし、嵐に遭遇して難破し、鑑真らが日本に辿り着く一方で、仲麻呂は藤原清河らとともに安南(ベトナム)に漂着し、帰国は果たされなかった。
後に長安へ戻って唐の官吏に復帰し、安南節度使の任を授けられるが、再び故郷の土を踏むことなく異国の地にてその生涯を終えた。
享年七十三。
|