范仲淹が自分の中での歴史に対する転機となった人物であるが、諸葛孔明は歴史の原点ともいえる人物に当たる。孔明との出会は当然「三国志」であり、小学校低学年の頃に友達の家で遊んだ光栄の三国志(歴史シミュレーションゲーム)が始まりだったと記憶している。そこから三国志自体に興味を持ち始めて、子供向けの三国志小説などを読むようになり、その世界にのめり込むようになった。 小中学生の頃は三国志といえば演義を元にしたものが中心だったから、孔明は天才軍師、劉備は善玉、曹操は悪役という具合なのが一般的だった。それがいつの頃からか「正史」が見直されるようになると、それまでの天才軍師ぶりの多くが創作であると認識されるようになった。特に、正史の中で「臨機応変の軍略は苦手」というような評が書かれていたこともあって、これまでの人物像との落差の反動からか、単なる政治家程度に不当に評価を貶める風潮があるように感じられる。 しかし、正史を根拠とするのであれば、司馬仲達が孔明の軍営の跡を視察して「天下の奇才である」といったことも無視してはならないはずで、単純に軍略の才の是非を判断することはできない。そもそも孔明は一軍の将ではなく蜀漢の丞相という立場があったから、冒険することはできなかったと思われ、性格的にも武人ではなく文人であるから、どちらかといえば守勢を得意としていたのではないかとも考えられる。 要するに、立場と性格的な面から攻勢(北伐)に向いていなかったのであって、従来の天才軍師といかないまでも軍略(守勢)の才には秀でていたということはできると思われる。少なくとも、昨今いわれているような凡将の類ではないと確信している。とにかく、正史の評から孔明を凡将とするのは乱暴であるし、ただの政治家と過小評価するのにも疑問がある。 諸葛孔明が実績以上に美化された人物像で世間に認知されていたのは事実である。しかし、史実以上の人物像に描かれるには、そうであっても不思議ではないと思わせる実力が実際に備わっていなければ説得力がないし、そのような人物像が作られ受け入れられるには、受け手(民衆)側の願望がなければ起こりえないだろう。このうち民衆の願望は、その人物が広く慕われていたことの現れともいえ、特に後世に名声を高める大きな要因でもある。これも英雄としてのひとつの在り方であると思う。 諸葛孔明に限らず、范仲淹や、中国最高の英雄とされる岳飛なども、程度の差はあっても後世に史実以上の評価を得た人物だろう。英雄としての評価を判断する際に、実績のみを基準とするのは面白味に欠けると思うし、死後の評価というのもその人物を形作る要素のひとつとして捉えるのも重要だと思う。単に実績を残したことのみで英雄と評価されるのであれば、勝者以外に英雄は存在しないことになる。勝者になれなかった人物の中にも英雄が存在するのは、単純な実績のみに留まらない部分が英雄としての評価に反映されているからだろう。 近年の史実偏重の風潮に圧されて諸葛孔明の評価も以前と比べて変わってしまったが、史実の人物像と天才軍師に描かれた人物像がいくら異なっていようとも、諸葛孔明が英雄である事実は揺るぎようがない。
(2016/11/27)
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