空想歴史文庫

田豊
(花馬王)


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略伝

でんほう
田豊
(花馬王)

(?〜1362)

 中国・元末期の人物。紅巾軍の将。
 貧しい家に生まれたが、自力で富を得て暮らしを整えた。
 義兵万戸として元朝に仕えて黄河を守っていたが、紅巾軍の毛貴が山東で反元の快進撃を繰り広げると、これに呼応して蜂起し、部隊を率いて毛貴軍に加わった。東平を攻略して元朝の南北漕運の要衝を分断するなど、山東一帯を転戦して紅巾軍の山東支配に多大な功績を挙げた。
 紅巾軍の劉福通が開封を回復して小明王・韓林児を迎えると、韓林児から毛貴とともに丞相に封じられた。
 東平に長期駐屯していた頃、毛貴が謀殺されて山東紅巾軍は指導者を失い、内乱が勃発した。この内乱に乗じて元将チャガン・テムルが開封を攻略して韓林児や劉福通らが安豊へ逃走した。山東紅巾軍の内乱が続く中、田豊は静観して勢力を保ち、花馬王を自称した。
 元将チャガン・テムルが山東の各地を相次いで攻略すると、まもなく田豊の東平も包囲された。チャガン・テムルが苦戦は免れないと考えて降伏勧告すると、田豊は偽って降伏し、山東行省平章事の職を授けられた。
 チャガン・テムルは、田豊を同行して紅巾軍が守る益都を包囲した。そこで田豊は、ともに降伏した王士誠と謀ってチャガン・テムルを暗殺し、益都の紅巾軍に加わって元軍の包囲に抵抗した。
 しかし、チャガン・テムルの養子ココ・テムルがその職を継いで益都攻略を続行し、城を陥落させた。田豊、王士誠は捕らえられ、処刑された。その後まもなく、山東の紅巾軍はすべて鎮圧された。

(2022/3/13)


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