奥州藤原氏を語るなら『炎立つ』は欠かせない。『炎立つ』は奥州藤原氏を描いた高橋克彦氏の歴史小説で、これを原作として大河ドラマにもなった。個人的には大河ドラマの方に最初に触れたから、原作小説よりも大河ドラマの方の印象が強い。大河ドラマの『炎立つ』は、前作の『琉球の風』と次作の『花の乱』とあわせて、2年で3作品が放送されるという放送期間が縮小されてしまった時期の作品である。源平合戦以前で、中央から離れた奥州を舞台とした馴染みのない時代背景だったこともあってか、視聴率はそれほどよくなかったらしい。しかし個人的には、歴代大河ドラマの中でも最高傑作だと思っている。 原作小説の『炎立つ』は、高橋克彦氏の「陸奥三部作」の第1作目とされる。「陸奥三部作」は、この他に阿弖流為(アテルイ)を主人公とした『火怨』、戦国時代末期の九戸政実を主人公とした『天を衝く』がある。いずれも奥州を舞台に、奥州側の視点から中央との対立を描く作品となっている。さらに、『火怨』の序章ともいうべき『風の陣』という作品もあるが、これは蝦夷出身で唯一朝廷に仕えて正四位上の官位を与えられた道嶋嶋足を主人公として、主に京を中心に物語が展開するため、奥州と深い関わりがありながら陸奥シリーズ(陸奥三部作)から外れてしまっている。時代背景としては、『天を衝く』よりも『風の陣』の方が相応しいように思える。 さて、奥州藤原氏というと、初代清衡から始まり、基衡、秀衡と続く三代、場合によってはわずか2年足らずではあるが四代泰衡を加えた約100年間奥州に一大勢力を築いた藤原一族を指す。ところが、3部構成で描かれた『炎立つ』の第1部の主人公には、藤原経清という人物が抜擢された。藤原経清という人物は、第2部の主人公となる初代清衡の父親である。経清は亘理権大夫と呼ばれ、陸奥の最高長官である陸奥守に匹敵する階位だという。長年、出自が不明(藤原姓の自称していたと考えられていた)でありながら高位に就いている謎の人物とされていたが、藤原摂関家に連なる出自であることが確認されたらしい。この事実が、『炎立つ』の主人公として描くのに大いに役立ったようである。 『炎立つ』の第1部(ドラマ12話、小説3巻)は、この藤原経清を主人公に、「前九年の役」を描いている。経清は当初朝廷側の人間として登場し、陸奥最大の豪族安倍氏と深く関わって嫁を娶るなどしているうちに、次第に蝦夷の側に立って行動するようになっていく。 この頃の陸奥というのは、中央(朝廷)からしてみればとてつもない田舎で、当然のことながら見下し(差別)の対象とされていた。後のことになるが、二代基衡が藤原頼長と年貢のことでもめた時、思い通りにならなかった頼長が基衡のことを「匈奴」と表現して罵った記録があるという。「匈奴」というのは中国の秦代や漢代の頃に北方で猛威をふるったことで有名な異民族のことであるが、わざわざこういう表現を持ち出して罵るあたり、尋常でない差別意識が中央の人間の奥底に根付いていることが察せられる。 ところが、陸奥で金が豊富に産出されることが朝廷に知られたことで、単なる差別対象に留まらず、搾取の対象として扱われるようになった。そこで、朝廷側と蝦夷側とでたびたび衝突が起こり、アテルイの反乱のような大事件にまで至った経緯がある。『炎立つ』の開始時点では、表立った衝突はなく安倍氏が朝廷に従順な姿勢を見せていた。が、陸奥守として辺境の地へ飛ばされてきた貴族としては、奥州の金を懐に入れて旨い汁でも吸わねば割に合わない、といった具合に金に惑わされた目で陸奥・蝦夷を捉えていた。「前九年の役」は、東国武士源氏の棟梁・源頼義が子の源義家を伴って陸奥守に就任したことで勃発する。 安倍一族は、当初から平身低頭従順な姿勢を示していたが、源頼義の陸奥守任期終了間際に安倍貞任(当主頼時の子)が源頼義の陣営を襲撃する阿久利川事件が発生した。『炎立つ』ではこの事件を、源頼義が任期延長の口実を得るために配下に安倍貞任の軍勢を装わせて襲撃を偽装した陰謀として描いている。実際、従順に徹していた安倍一族が、あと少し我慢すれば頼義が陸奥を去るというのに、敢えて襲撃する理由がわからない。その不自然さもあって、源頼義の陰謀とする説も有力視されているそうだ。 こうして源頼義(朝廷)と安倍一族(蝦夷)の戦いが開始されたが、藤原経清は当初、朝廷側の武将として安倍一族と戦っていた。しかし、経清と同じように安倍使の娘を娶った平永衡が源頼義に内通を疑われて誅殺されたために、経清は源頼義を見限って安倍一族に降った。この時、原作では最後まで経清に付き従った従卒の1人が、大河版では縋り付きながら必死で引き留めようとしている。もともと経清は朝廷側の人間で、頼義を裏切れば朝廷に戻ることができなくなる可能性が高いから、現実問題として易々と離反を決意できるとは考えにくい。その辺の葛藤を元従卒を使って表していたのかもしれない。 藤原経清は親族を無残に殺され自身にも危険が及ぼうとしていたと考えていたし、源頼義は目をかけていた経清が恩を忘れて裏切ったと考えていた。このような経緯から、両者は互いに激しく憎み合うこととなる。『炎立つ』では、ここに佐藤浩市演じる純粋な好青年の源義家が、潔い経清に尊敬の念を抱くという対照的な立場で描かれている。それを端的に表しているのが、黄海の戦いで敗走する頼義らを経清が敢えて見逃したことに対する反応で、頼義は侮辱されたと憤慨し、義家は情け深さに深く感謝する。敵味方に分かれながらも、後に2人は友誼を結び、この義家と経清の関係が、次の清衡との関係の伏線となっている。 安倍一族と源氏との戦いは、その後出羽の清原一族が源氏に味方したことによって勝敗が決することとなる。この時、捕らえられた藤原経清の最後は凄まじい。『炎立つ』では、もう一度仕えよと説く源頼義に対し、経清は「獣には仕えぬ!(大河版では「豚の家来にはならぬ!」)」と返して怒りを買う。そこで頼義は刃こぼれした刀をさらに石に打ち付けてボロボロにして、鋸引きのようにして斬首するのである。大河版では、これをさらに悲惨な演出にしていて、経清の離反を止めようとした元従卒に処刑させた。元従卒は泣き叫んで拒絶するが許されず、経清にも諭されて、観念してかつての主人の頸に刃を当てて鋸引きする。放送当時、時代背景を知らなかったから、主人公が話の途中で殺されるというだけでも驚きだったのに、それが鋸引きという壮絶な殺され方だったから、ますます衝撃的だった。しかもこの場面は全くの創作というわけではなく、史実に基づいているというからさらに驚かされる。 こうして、前九年の役で経清は殺された。一方、清衡の母は清原一族に捕らえられ、清原武貞の側室とされる。清衡自身は、清原一族に養子として迎えられていた。滅ぼした安倍一族の女を側室として迎えるというところまではわかるが、その女の子供とはいっても清原一族とは血の繋がりのない清衡を迎え入れるというのは奇妙に思える。摂関家に連なる藤原一族と陸奥の大豪族安倍一族との血統というものが重視されたということだろうか。いずれにしても清衡は殺されることなく、新たな陸奥の支配者となった清原の一員として育てられることとなった。 さて、『炎立つ』では、この辺りから藤原清衡(村上弘明)が主人公の第2部(ドラマ8話、小説1巻)となる。清原一族に迎えられた少年清衡は、母から、父の恨み、安倍の恨みを忘れず藤原家再興を成し遂げるよう教え込まれて育った。しかし、清原武貞との間に家衡(豊川悦司)が生まれると、母は口先では恨みを説くが家衡を溺愛して清原の人間として心変わりをするようになる。村上弘明演じる清衡は、藤原家再興とそれを忘れつつある母との間で葛藤を繰り返していく。このドラマ版では特に母親の心変わりが小説版よりも顕著で不評らしいのだが、出来の悪い末っ子(家衡)かわいさに初心を忘れるというのも人間臭くもあり、そのように変わってしまった母親に悩まされる状況が清衡の清原一族内での不安定な立場をより鮮明に表すことになり、個人的にはドラマ版の方が好みである。 清原一族の家督を継兄の真衡(萩原流行)が継いだ頃、清衡は源義家と運命の出会いを果たす。義家はこの時四十半ば。前九年の役での純粋な若武者が、貫禄と狡猾さを備えて再び陸奥の地を訪れたのだ。ドラマでは第1部に引き続き、佐藤浩市がこの2つの世代の義家を見事に演じてみせる。それはさておき、経清との友情もあって清衡との対面を楽しみにしていた義家は、清衡に面と向かって「生涯の仇」と突き付けられて言葉を失う。しかし義家は怒ることなく、かつて経清と交換した太刀を清衡に進呈した。戸惑う清衡だったが、父の形見の太刀であったし、父と義家との間に友情があったことを知ったことで、義家に対する恨みを解くことになる。 『炎立つ』では、経清の存在を介して清衡と義家を接近させて、義家が清衡に肩入れする理由付けとしている。史実でそのあたりの背景がどうだったかというと、よくわからない。が、清衡が前九年の役で討った藤原経清の子であることを義家が知らないわけがないし、そうであるならばやはり、義家が清衡に対して何らかの個人的な感情を抱いていてもおかしくはない。そこで真衡亡き後、血筋からいえば後継者は家衡となるところ、義家は奥六郡を二分して清衡にも統治させている。これは清原の勢力分断を図るという側面もあるようだが、それだけだろうか。しかもこの後、家衡が挙兵して清衡と対立すると、義家はこれに介入して清衡を支援している。義家が安倍一族や経清に対して負の感情を抱いていたのであれば、清衡に対してこのように対応するとは考えにくい。となると、義家は少なからず清衡に肩入れしたかったのではなかろうか、と考えられるだろう。 清衡と家衡の対立は、その立場同様に対照的に描かれる。清衡は、父経清の剛胆な姿とは異なり、復讐心を抱きながらも慎重で用心深く、堪え忍ぶ日々が続く。清原の一族に加わりながら、血縁がない不安定な立場を表している。一方の家衡は、凡庸なのに地位、プライド、野心はやたらと高い。家衡セリフにも出てくるが、「甘やかされて育った」我が儘坊ちゃんそのもの。これを見事に演じたのが、当時ブレーク前だったらしい豊川悦司である。清衡と家衡の対決直前、表面上は兄弟仲良く碁を打ち昔話に花を咲かせていたが、清衡が席を外すと、家衡がカメラ目線でアップになって「ぶっ殺す!」吐き捨てた場面は、今でも語り継がれる名場面となった。 清衡と家衡の直接対決は、家衡が清衡の館を襲撃したところから始まる。ドラマ版では清衡の留守を狙って襲撃して妻子を人質に取り、助けに来たところを待ち構えていた伏兵で討ち取るという策がとられる。しかし、清衡は事前にその策を察知して、敢えて気付かぬふりをして家衡の暴発を誘って反撃に出るつもりだった。しかし、事前に脱出するはずの妻子らが捕まってしまった。互いに策が露見して、大軍で館を囲んだ家衡が人質を盾に降伏を呼びかける中、清衡は山中に潜んで助けに行くのを必死に我慢しながら機会をうかがう。顔中が冷や汗にまみれ、思わず山を駆け下りて駆け付けようとしたところを部下に押さえつけられて止められる場面もあった。当時、それでも当然妻子は助かるものだと思っていたから、どんな策で助け出すのかと見ていたのだが、遂に家衡がしびれを切らして妻子を押し込めていた蔵に火を放ってしまった。結局、妻子を助け出すことができなかったから、見ていて呆然となった。これは経清の鋸引きに続く衝撃的な一場面であった。 小説版では状況が少々異なっていて、清衡在宅中に襲撃が行われる。乱戦の中、妻子が捕らえられ、館にも火をかけられて脱出できないと悟ると、妻子を救出したい気持ちを必死で抑えながら館に戻ったと見せかけて池に潜って身を隠し続ける。その間に、母親が家衡の非道に愕然として改心し、清衡の足手まといとならないために妻子共々自害して、最後に潔い姿を見せた。それでも清衡は、念には念を入れて、館が静まりってからも隠れ続け、援軍が到着するのが確認できるまで待ち続けたのだった。清衡の館の襲撃の場面は、ドラマ版では悲惨さが強調される演出となっていたが、この小説版では清衡の執念深さと忍耐強さを強調する演出となっていた。この場面はどちらも甲乙つけがたい。 いよいよ清衡・義家連合軍と、家衡率いる清原一族との衝突である。が、清衡は義家を味方につけながら、大雪などの悪天候にも邪魔されて大苦戦。どうやら清衡という人物は、戦があまり得意ではないらしい。家衡とともに反真衡の兵を挙げた時も敗れているし、今回も最終的に勝利するものの苦戦を重ねている。内乱が続いた中で戦下手なのに最終的な勝利者となり得たというのも不思議な話で、『炎立つ』の原作者・高橋克彦氏は「歴史的事実をそのまま並べると、ただ運が良かっただけの人としか思えない」「清衡の幸運は只事ではない」と評しているのがおもしろい。もちろん、ただの幸運で済ませたわけではなく、相当な駆け引きがあったであろうことや、生き延びること、そのためにひたすら耐え続けたこと、動乱の世ではこの生き方の方が遥かに難しいことなどを述べている。 「後三年の役」最後の戦いは、兵糧攻めで決する。後三年の役というと、源義家に関連する逸話がいいくつかあるが、ドラマ版では放送時間などの関係か、カットされている。例えば義家の弟・新羅三郎義光が官職をなげうって参陣する(実際には、朝廷の許可なしに勝手に奥州へ行ったため解任されたらしい)話は、セリフだけで済まされてしまっている。また、義家が清原の柵(砦)を攻める時に、雁の群れが乱れたのを見て伏兵を見破るという話は登場すらしない。そもそもこの最後の戦いは、両軍とも甲冑姿で軍議などをする場面はあっても、まともに交戦する場面は描かれなかった。知名度の低い時代を扱いながらも、有名な逸話がある場面でそれが取り上げられなかったのは、実にもったいない話ではある。 それはともかく、この兵糧攻めについては、非常に印象に残る場面がある。兵糧を断たれた中で、家衡やその家臣が食事をするところだ。まず、兵糧が底を尽きかけていた頃、家衡が茶碗に山盛りにした白米を頬張る中、諸将がそれを恨めしそうに眺め、重臣に諫められてもやめようとしない。遂には、清原一族の重鎮・武衡に茶碗を捨てられて「それが大将のすることか!」と一喝される。そして、今度は兵糧が尽きた(諸将はまだその事実を知らない)場面、諸将には塩豆の汁が1杯だけ配られた。武衡は一気に流し込んで貧しい食事に憤慨し、豆を1粒ずつ食べる重臣を叱りつけた。武衡は、家衡に棟梁の資格なしとして、残りの食料を兵らに食べさせて決戦を宣言する。が、兵らは既に馬を殺して食べており、馬がなくて強襲できる状況ではない。その状況を作ったことを責める武衡に対し、家衡は自らの碗を差し出して、腹が減ったのならこれを食えとバカにする。武衡が怒って碗を叩き落とすと、粥が床に飛び散って諸将の目がそれに釘付けとなった。そして、自暴自棄となった家衡の口から食糧が全て尽きて今回が最後の食事だと告げられると、諸将が床に散乱した粥に一斉に群がっていった。わずか数分の短い場面ではあるが、飢えて追い詰められていく人々が端的に表現されて、特に印象に残っている。 家衡は家来に見捨てられて(しかし、家来たちは誘い出されて討ち取られた)、結局、母親に説得されて降伏した。母親は、家衡が処罰されるのは仕方がないと一度は考えながらも、家衡の惨めな姿を見て哀れに思い、命乞いをすれば清衡も助けてくれると口走る有様。この辺りの往生際の悪さが、小説版と対照的に評判が悪い原因だろう。こうして清衡と義家の前に連れ出された家衡は、怯えながら平身低頭観念してみせるが、義家が冷たく見下ろして、部下に目配せをして顎をくいっとやって合図を送り、問答無用で処刑する。家衡の悲鳴を聞きつけた母親が駆け寄り「生かすというたに!」と咎めるのに対し、清衡は「これがさだめにござる」との言葉とは裏腹に、目に涙を浮かべていた。 これでめでたし、めでたし、と簡単にいかないのがドラマ版『炎立つ』である。内乱を平定して一応の落ち着きを取り戻した清衡と義家であったが、2人の会話がその後の陸奥の統治について、義家の話が都の公卿の腐った支配体制に嫌気が差して陸奥の独立を足掛かりに武士の世を作るとまで及ぶと、清衡はまっぴらごめんと反発した。清衡が望むのは、朝廷から陸奥を切り離して戦とは無縁の独立した国を作ることで、朝廷と繋がりのある武力(武士)は不要というものだった。結局、最後の最後に2人は喧嘩別れしてしまう。義家は一旦都に戻って後三年の役の恩賞を得るための報告をしようとするが、道中で朝廷からの使者が訪れて「私闘」と告げられる(私闘では恩賞が出ない)と、それが清衡の根回しによるものだと瞬時に察する。これに怒り狂った義家が罵詈雑言を並べ立てる。
「あ奴め、涼しい顔をしてわしと協調するフリをしておりながら、戦に勝って陸奥が己の手中に入った途端、わしが邪魔になりおったのじゃ! あのクソがぁ〜! わしを蹴落としたのは清衡じゃ、許せん、許せん!」 この直前まで、家来に対して清衡はよい奴だと語っていたのに、その舌の根も乾かぬうちに悪い奴と罵るのは、真面目な場面のはずなのに笑ってしまう。後に佐藤浩市がこのセリフには苦労したと語っていたと記憶している。義家は怒りを吐き出してスッキリしたのか、諦めたように「陸奥はわしがおらずとも豊かな国となろう。清衡ならば必ずやり遂げよう」としみじみと述べる。小説版では、2人の喧嘩別れも罵詈雑言もなく、このセリフへとつながる。 やがて、清衡が藤原姓を名乗ることを許され、中尊寺も建立されて奥州藤原氏百年の栄華が幕を開ける。こうして物語は、一旦終焉を迎える。悲惨な幕切れとなった第1部に対して、第2部はその恨みを晴らして宿願を達成する見事な結末となっている。ここで本当に完結させてもいいくらいなのだが、『炎立つ』では、それから50年ほど後の秀衡、そして泰衡の代へと物語が続き、奥州藤原氏の滅亡が描かれることとなる。
(2017/4/2)
『炎立つ』第3部は、三代秀衡の中期頃の時代を舞台に、その子の泰衡を主人公としている。この秀衡の時代は、清衡、基衡の時代を経て、藤原氏が徐々に奥州での支配力を強めていった結果、既にほぼ独立政権に近い状態であったようだ。ただ、完全な独立状態となっていないことは、相変わらず鎮守府将軍や陸奥守などの朝廷所縁の支配機構が設置されていることからもわかる。清衡や基衡は、事実上の奥州の支配者となりながらも、朝廷の支配機構から見れば、鎮守府将軍や陸奥守になることができず、それより格下の臨時の軍職とされる押領使が唯一の公職だったらしい。それが秀衡の代となって、それぞれ数年の任期ではあったが、鎮守府将軍と陸奥守に任ぜられたことで、公的にも奥州の支配権が認められた。これによって、それまでの私的な奥州支配が正当化されることとなる。『炎立つ』第3部の舞台の時代背景は、大体このようなものである。 さて、『炎立つ』の第3部には少々問題がある。ドラマの製作に原作小説が間に合わず、ドラマと小説で違う内容になってしまったのだという。このような製作段階での不手際の影響か、ドラマ版は1部、2部に比べて圧倒的に評判が悪い。そもそもこの第3部、原作小説の分量は1巻分で、しかも同じ1巻でも第2部より1割(40ページ)ほどページ数が少ない。分量だけでも比較すれば、第1部に最も力点が置かれて、必然的に第3部が一番薄くなる。ところが、ドラマ版の分量では、第3部が15話と最も長くなっている。知名度が低い1部、2部に対して、源義経や源頼朝などの名の知れた人物が登場する知名度の高い時代を扱っているためか、ドラマ版はここに一番力を入れたかったようだ。しかし、実際には、濃密なドラマが展開された1部、2部に比べて内容は浅く、それに加えて話数が一番多いから、ますます内容が薄まってしまったと思われる。 ドラマ版と小説版の大きな違いは、主人公たちの人物像である。小説版では、主人公泰衡は文武両道で優秀、武芸に秀でた異母兄国衡とも互いに信頼し合っていた。これに対してドラマ版泰衡は、文弱で凡庸、異母兄国衡と不仲である。対照的な人物像であるが、史実の人物像はドラマ版に近い。高橋克彦氏の作風として、主人公をはじめ、敵味方関係なく主要人物は大抵美化されて描かれるが、小説版3部の泰衡・国衡もそれに倣って描かれたのだろう。高橋克彦氏はそういった演出が巧みだから、史実通りに兄弟が対立していなくてもおもしろいのだが、兄弟の対立は史実にあるから、史実通りの関係で上手くやって欲しかったとも思う。ドラマ版では、当初は泰衡が軟弱で頼りなかったのに跡継ぎとされていたため、国衡は苦々しく思って衝突が絶えなかったが、泰衡の成長とともに対立することも減っていった。そして、奥州藤原氏滅亡を前に、国衡は死に場所を得るために戦支度をして泰衡の前に姿を現し、「そなたとは、これまでずいぶんいがみ合ってきたものだが、最後にこんなに静かな気持ちで別れがいえるとは思わなかった」と穏やかに兄弟の別れを告げる。兄弟の対立から生まれた名場面だ。 物語の主人公は泰衡だが、この頃の実際の奥州の主人公は三代秀衡である。ドラマで秀衡を演じたのは渡瀬恒彦。剛毅果断で知略にも長けた人物の役所がよく似合う役者で、秀衡の人物像がその通りであったらしい。しかし、実際には、ほぼ一貫して静観を続けただけで、傑出した人物であるかどうか判断に困る。ただ、秀衡自身は一見して何もしなかったが、源氏も平氏も奥州には相当気を遣っていたようで、頼朝は奥州の動きを警戒して鎌倉から身動きが取れなかったし、平氏は秀衡を陸奥守に任じて懐柔を図ろうとした。それというのも、当時は奥羽十七万騎と称する巨大勢力を奥州に築いており、存在すること自体が源平にとって脅威となっていた。秀衡が動くか否かにかかわらず、奥州自体を警戒せざるを得なかったのだ。 秀衡は平氏や木曾義仲とも接近しており、奥羽十七万騎が事実であったとすれば、平氏滅亡前に鎌倉を討つ機会は十分にあったと思われる。しかし、秀衡は最後まで軍勢を動かすことはしなかった。もしかしたら、秀衡は平和主義者であったり、臆病者であったりしたのかもしれないが、一番妥当なのは、単純に源氏を滅ぼすつもりがなく、源平と奥州の三つ巴を維持しようとしていた、ということだろう。しかし、頼朝の挙兵(1180年)からわずか5年足らずで平氏が滅亡(1185年)し、その後、鎌倉からの圧迫で京との直接の繋がりを断たれた。鎌倉方に後顧の憂いがなくなったということもあるが、これまで奥州に対して仕掛けることを避けていた鎌倉方だったが、ここへ来て大きく方針転換してきたことになる。この時点での鎌倉の兵力は28万ともいわれる。もはや奥羽十七万騎という巨大勢力も脅威ではなくなっていた。 この段階になると、頼朝の奥州侵攻は時間の問題であっただろうし、衝突を避けるには膝を屈する以外に手立てはなかったと思われる。秀衡が一旦頼朝に従う姿勢を見せたのは、兵力差に加え、鎌倉方が源平合戦を勝ち抜いてきた実戦経験豊富な軍勢であるのに対し、奥州勢には実戦経験がなく、武力衝突した場合の勝算が圧倒的に低かったためであろう。平氏存続中は存在するだけで外交的に主導権を握れていたのに、静観しているうちに平氏が滅亡して、いつの間にやら追い詰められる立場となっていた。そして、苦境の原因となる平氏滅亡の立役者というのが、秀衡自身が奥州に招き、後に鎌倉へ送り出した源義経だったというのも皮肉な話である。 しかし、頼朝と仲違いした義経が奥州へ落ち延びてくると、秀衡はこれを受け入れた。膝を屈して衝突を避け続けようとするなら、最終的に完全に屈服するところへと行き着いてしまう。おそらく秀衡は独立の維持を望んでいただろうから、いつまでも頼朝に従っているわけにはいかなかったはずだ。義経は奥州とも縁が深いし、平氏を滅ぼした実績もあって、奥州勢の経験不足を補うに足る存在だった。そうなると、義経を受け入れるのは当然の成り行きである。ただ、不幸なことに、それから1年と経たずに秀衡が世を去ることとなる。死期を悟った秀衡が最期に執った策は、泰衡と国衡に義経を主君として結束するように誓いを立てさせることだった。 秀衡の死後、わずか2年で奥州藤原氏は滅亡することになるのだが、泰衡が凡庸だったためだとするのが一般的とされる。しかし、上に述べたように泰衡が家督を継ぐ前から、奥州は苦境に立たされていた。泰衡でなくとも早期の滅亡は避けられなかったのではないだろうか。そうすると、やはり秀衡の鎌倉に対する外交政策に滅亡の大きな要因があったと思われる。もちろん、鎌倉との関係が良好となる別の方法がなく、秀衡の政策が最良だった可能性もあるかもしれない。しかし、結果だけを見れば、秀衡は打つ手を誤った(何も有効な手立てを講じなかった)ともいえる。源平に並ぶ勢力を築き上げて一時期外交的に主導権を握っていたから有能であることは間違いないだろうが、次代(泰衡)に致命的といえるくらいの課題を残してしまったことを考えると、どこまで評価していいものか難しいところがある。
(2017/5/5)
さて、秀衡から泰衡に代替わりして滅亡していく過程をもう少し詳しく考えていこう。ドラマ版『炎立つ』では、泰衡を第1部の経清に続いて渡辺謙が2役を演じる。泰衡が歴史の表舞台に立つのは、まさに秀衡亡き後のことであるが、凡庸と評される原因は、秀衡の遺命に反して義経を殺し、短期間で奥州藤原氏を滅亡させてしまったからだろう。しかし、秀衡にも滅亡へと導いた責任があるとすれば、泰衡を単純に凡庸と評価することはできないかもしれない。 まず、義経殺害についていえば、代替わりして直ちに討ったというわけではなかった。もともと秀衡の頃から鎌倉より義経の引き渡し要求があったようだが、秀衡はのらりくらりとこれを躱していた。そして泰衡の代となってからは、泰衡らに対して義経討伐の宣旨や院宣が下されるに至ったが、およそ1年に亘って繰り返し命じられながらも、これを拒み続けてたのだった。宣旨や院宣を1度ならず数度に亘って拒否し続けたというのは、父・秀衡の遺命があったとしても並大抵のことではないように思える。通説通りの臆病者であったならば、宣旨などを2度3度と拒否することなどできないのではないだろうか。 最終的に義経を討つことになるが、その間に義経が奥州から脱出しようとした形跡があったり、泰衡の弟の忠衡らが殺害されたりする事件が起こっている。義経の討伐にしても、泰衡の命ではなく母方の祖父・藤原基成の差し金だったとの説もあったりする。いずれにしても、秀衡の死後、義経が逃亡を考えるほどのあからさまな内輪揉めが起こっていたようだ。鎌倉の脅威が目前に迫りながら団結すらできない状態だったのだから、たとえ義経が殺されなかったとしても、烏合の衆と化して、結局滅亡するのにそれほど時間はかからなかったように思える。 『炎立つ』では、原作だと義経が宋へ渡ったことを示唆するように描かれ、ドラマ版だと基成が手を回して討伐(ただし、義経の死は直接的に描かれていない)している。泰衡が主人公だから、国民的英雄・義経を手にかけるような真似をさせるわけにはいかない、という事情があるかどうかはわからないが、泰衡自身は義経を討伐せずに、逃がす手筈を整える役回りである。しかし、原作、ドラマのどちらも義経の処遇について意見の対立が見られる展開となっている。代替わりの時期があまりにも悪すぎた、ということを考慮すれば、奥州を一枚岩とすることができなかったとしても一概に無能ということはできないだろう。が、少なくとも、この状況で家臣らをまとめ上げる突出した指導力は持ち合わせていなかったのは間違いなさそうだ。 いよいよ滅亡を迎える奥州藤原氏であるが、鎌倉勢は勅命がないまま奥州征伐の兵を起こした。抵抗らしい抵抗は国衡の戦闘くらいなもので、鎌倉勢は難なく平泉に達する。平泉は、財宝が山と積まれた倉庫を残して館に火を放った泰衡が逃走した後であり、町自体は戦火にさらされることはなかった。『炎立つ』小説版では、これを泰衡の策として描いている。それは、朝廷の討伐令が出る前に陸奥をなくして、勅命なしに鎌倉が蝦夷を討った事実を残して蝦夷に罪が残らないようにし、藤原一族が滅んでも民を残す、というもの。民が生き延びれば、形ばかりの陸奥は滅んでも、後世に再び平泉が世に現れる、という考えによって自ら陸奥を明け渡すのである。 ドラマ版も細部は多少異なるが、「戦は文化の力、美の力で行う」「太刀には太刀で刃向かう愚かさを捨てる」として、やはり自ら陸奥を明け渡す選択をした。小説版、ドラマ版のどちらも、無抵抗によって平泉の文化を戦火から守る、という点で共通する。事実、平泉の文化は戦火にさらされることなく後世に残ることとなるが、そもそも無抵抗というのは、その後の処置を相手に完全に委ねることになるのだから、譲り渡したものが無事に済む保証はどこにもない。しかも、戦に略奪はつきもので、この当時の風習として戦中の略奪がどの程度の頻度で発生していたかはわからないが、ただで与えてしまっては略奪から守る術を一切捨て去るということになる。このような判断をすることが賢明だということができるだろうか。これが成立するとすれば、相手が略奪しないと判断する、つまり敵を信用することが前提となる。これは、なかなか奇妙な状況だ。創作の中の演出としてはあり得るだろうが、現実的には思えない。 こうなると、通説通りに怖じ気付いて逃げ出した無能な棟梁ということになりそうだが、そう単純に話は終わらない。平泉から逃走した先で、泰衡が従っていた家臣たちに藤原姓を授けて、その子孫たちが代々藤原を名乗って泰衡を慕い続けているのだという。この場面は『炎立つ』小説版にも登場する。家臣が主君から姓を賜るというのは非常に名誉なことであるとは思うが、例えばこれが秀衡のように名実ともに優れた人物から安定した時期に賜ったというのであれば、文句なしに名誉なことと誇ることもできるだろう。しかし、滅亡させた張本人から、逃亡中に賜るというのは名誉なことだろうか。普通なら、苦し紛れに褒美を乱発して与えたもののひとつ程度の扱いで、不名誉ではないにしても、先祖代々慕い続けるほど名誉に感じるとはあまり考えられない。となるとやはり、泰衡はそれ程に慕われる何かを備えていたのではないかと思えてくる。ここから見えてくる人物像から考えると、怖じ気付いて逃げ出したという行動をとるのは、どうにも辻褄が合わないように感じる。記録には残っていないが、平泉を捨てたのも、何か考えがあってのことという線も残りそうだ。藤原泰衡という人物は、通説通りの凡庸な人間と単純に決め付けることはできないかもしれない。 泰衡の最期は、逃亡先で家臣の河田次郎という者に裏切られて討たれた、とされている。『炎立つ』小説版では、これも泰衡の策として描かれる。逃亡した泰衡の死を明らかにすることで、民を生かそうという寸法だ。その後、泰衡の首は、先に逃亡していた義経と再会して、義経を通じて源義家の魂が泰衡の魂を迎え、経清や清衡などのその他多くの魂とともに昇華していく、という形で描かれる。 しかし、個人的には、ドラマ版の最期の方が好みである。ドラマ版では、史実のように河田次郎に討たれる場面は描かれない。逃亡した泰衡は、独り吹雪の山中を歩いて行く。倒れそうになるところを陸奥の民らに助け起こされると、民の中から「経清」名を呼ばれて、第1部に登場した安倍宗任や安倍貞任が姿を現し、最後に妻(安倍氏の娘、清衡の母)に「経清」の名を呼ばれて画面が切り替わると、安倍氏の装束に身を包んだ経清(泰衡)の姿が映し出される。泰衡の魂が経清の姿となることで陸奥の魂に帰って行くのだ。経清(安倍一族)から続く蝦夷の壮絶な戦いの結末に相応しい場面だ。経清と泰衡の二役を渡辺謙が演じた意味が、ここに集約されている。これを超えるラストシーンがある大河ドラマには、未だに出会ったことがない。濃密で熱い物語だったこともさることながら、やはり最後の締め括りが他の追随を許さないから、『炎立つ』が歴代最高傑作の大河ドラマとなるのだ。
(2017/7/3)
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