はん ちゅうえん
范仲淹(字:希文)
(989〜1052)
中国・北宋時代の人物。
幼少の頃に父を亡くして母が再婚したため、初めは再婚先の朱姓を名乗る(名は説)。二十七歳で科挙に及第すると、姓を亡き父の「范」になおし、同時に名も「仲淹」になおす。
地方官吏を歴任後、仁宗の親政が行われると中央に召されて高官となるも、実直かつ剛直な性格が災いし、中央高官らの不正などを度々批判して左遷を繰り返した。
西北辺境の西夏が宋に反旗を翻すと、范仲淹はその西夏対策の任に就き、「夷をもって夷を制す」方針で国境を守る。范仲淹は敵味方を問わず一目置かれる存在となり、遂には西夏との和議が実現。その功績を認められて再び中央に復帰した。
中央に復帰すると、韓gや富弼らとともに、清廉な政治をめざした改革(慶暦の治)を行うが、保守派の頑強な抵抗によりわずか一年で失脚。再び左遷された。
後世、范仲淹の残した名言「先憂後楽」の精神が、士大夫たちの理想として仰がれるようになる。
享年六十四。
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