ばかく
馬拡(字:子充)
(?〜1152)
中国・北宋末期〜南宋初期の人物。抗金の英雄であり、宋遼金を渡り歩いた外交家。
武挙に合格して任官され、金への使者として父・馬政に随行した。金主・完顔阿骨打に誘われて狩りに加わり、獲物を一発で仕留めて絶賛され、「也力麻立(射撃の名手)」と称された。再度金国へ渡って海上の盟を結んだ。
遼国の劉宗吉を受け入れた後、遼から耶律大石(後の西遼徳宗)が派遣され、その交渉に当たった。
その後、完顔阿骨打に招待されて金の南征燕京に随軍し、金軍の勝利を見届けた。
完顔阿骨打の死後、金太宗が位を継ぐと、馬拡は金軍に南侵の意思があるかを確かめるために派遣され、交渉は不調に終わった。
金軍が南下し、西山和尚洞義軍に加わって抵抗したが、捕虜となった。完顔宗望が馬拡に官職を授け招降しようとしたが、馬拡は堅持して受けなかった。
その後、五馬山義軍の首領に推挙され、信王趙榛を招聘して抗金を呼びかけ、10万余りが従った。宋高宗に援助を求めたが得られず、敗れて揚州へ還った。
拱衛大夫、利州観察使などを務め、秦檜が実権を握ると罷免された。後に「茅斎自叙」などを記した。
(2023/2/25)
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